2012年8月27日月曜日

ボールが中心3

ボールがディフェンスにとって近いほど巨大ということはないのではないか。
高さは一定であり、遠いディフェンスは距離が離れているから存在感がないのだ。

そうすると2m弱の壁が絡み合うだけでよくなる。うーん。ボールの速度を人間の速度に変換するなら、ボールの大きさも人間のそれに置換しなければならないのではないか。

そうすると怖いくらいに単純で2m弱の一様な壁がそのままあることが純粋な答えか。

あーあ。


ボールが中心2

サッカーの空間を飛び回って体験するのはボールである。自由に多彩な移動をする。そのボールの移動する方向を変化させるものがプレーヤーであり、建築でいう壁である。

今回の提案では、ボールの視点でサッカー空間を表現することで、サッカー空間の建築化を試みる。ボールが空間を移動するように、建築の中を人が移動する。

対戦する2チームはボールを移動させる方向がことなる。よってどちらも壁であるが性質の異なる壁になるのではないだろうか。

壁は厚さと高さの設定が必要である。壁の高さはその巨大さで存在感や空間の圧迫感をつくりだし、壁の厚さは空間に堅く重い緊張感のあるイメージを与え、簡単には破れない。

プレーヤーがボールに対してどんな時に巨大さや存在感を持つか、または堅く重いイメージを与えるだろうか。

ボールとプレーヤーが近いとき、ボールにとってプレーヤーは巨大で、存在感をもつものとなる。ボールとプレーヤーが離れているとき、巨大さや存在感は感じない。壁の高さはプレーヤーとボールの距離だろうか。近いほど大きい。

では壁の厚さはどうだろう。ボールに対するプレーヤーの体勢だろうか。
ボールに対して奪おうと身構えるディフェンスや、ボールを受け入れようとするオフェンスにどんな違いがあるだろう。デイフェンスの隙をみて奪う雰囲気には緊張感が漂う。しかしオフェンスが簡単に破れるものだということでもない。

オフェンスとディフェンスの違いはないのか。プレーヤーがボールに対して、正面を向いているならばボールにとってプレーヤーは簡単に通ることのできない壁となる。
オフェンスをディフェンスの違いはなく、単なる壁として表現されるのか。

ボールをもつ選手はどうだろう。ボールとの距離が最も近く、最も大きくなるのか。

最後にボールの速度による時空の歪みをどうするか。
ボールが移動するスピードに対してプレーヤーが移動する速度は遅い。
プレーヤーが密集し、狭い空間でもボールが早ければパスは通り、遠くのプレーヤーにもパスを通すことができる。

ボールの速さは空間を広くし、近づける。ボールの遅さは空間を狭くし、遠ざける。
この速度と空間の広がりや近さの関係を翻訳し、サッカー空間をゆがめて、人間の体験する建築とする。

サッカー空間をボールの視点で空間化して生まれたものに対して人間はどのようにふるまえばよいか。




2012年8月25日土曜日

ボールが中心

ボールからの距離を壁の厚さまたは高さに反映させれば、ディフェンスかオフェンスかの違いを針金、壁で示す必要がないのではないか。

細いのはボールに近いことを示す。
オフェンスとディフェンスの違いはゴールへ向かう方向である。
ボールの所持者が曖昧なとき、ボールをキープするために、ゴールへの方向は一時きえさり、ボールへの向きだけが残る。

遠いところにいるものはディフェンスでもオフェンスでも大きくなるのか。違いは示せるのか。そもそも違いを示す必要はあるのか。

最寄りの敵よりもボールが近い場合、ボールとの距離を壁の高さとするのか

うーん

2012年3月9日金曜日

かべ

壁のつくりかたが迂闊だったかもしれない。完全なトレースはサッカーにしかならないし、それを二次的にみることが建築になるしかない。

建築をつくるとは少しのエゴをもつことであるのではないか。

サッカーの壁はたしかにリスキーさを持ち、それを実際のサッカー感覚に忠実につくろうとしたことは評価できる。インフォグラフィクスとして。

そのリスキーさの変換がずっと引っかかっていたのだが客観的にしようとしたが客観的にすればするほどサッカー以外のなにものでもなくなってしまう。

つまり何がいいたいかというと、一様な壁で表現するのでなく、壁のなかでの強弱をつけるべきではないかということだ。ノード、パスといった話だ。

完全なトレース作業に入る前に考えていたことが重要なのではないか。
ルール、サッカーの都市への置き換え、都市のイメージ、意外性の種類とか。

ボールタッチをノードとするとか。パスとか。

新しい設計で都市への置き換えがつかえないかなあ。

ノードやパス、ランドマークなど相手の壁の状態とともにボールの視点から形をつくりだす。

2012年3月1日木曜日

なにをいうか

インフォグラフィクスのような空間。

オフェンスの視点でつくったつもりが実はボールの視点であった。ボールを妨げるために壁は存在し、ボールを導くためにオフェンスはいる。

建築というのは共有でき体験するもの。体験自体がスタティックなものになったのならそれを見る視点が建築である。

オフェンスとディフェンスによって形成された空間を利用するボールの動き。ボールの動きに影響をうける人の動き。その相互的なやり取りを建築とそこを体験する人の関係に落とし込みたい。

そこではつねに動きが空間体験の主体であり、このボールと人の関係は空間の生成プロセスである。空間と人間のやり取り。

今回の設計ではボールの動きによって空間を形成する人の動きをスタティックに建築化し、そこを体験する新たな空間構成因子として人が体験するものを考えた。

2012年2月27日月曜日


この模型が建築的にみえることがなにか意味するのであればそれを説明したい。今のままではこれは身体的な空間感覚に基づいてつくったから建築だとしかいえない。
やはりできたものに対して幸運にも生まれている建築っぽさを何かしら説明したい。

まず壁によって仕切られ、空間ぽくなっているという点。
このとき浮いている部分はどのようにとらえられるのか。
いま、模型でフィールドをシュートを打つタイミングとしてつくっているがイメージされる建築っぽさはこのスラブなしでも得られるような気がする。 
人をコラージュしてみるとわかるが人をどこに配置するのがいいかよく分からない。やはりスラブを入れるのか。

ボール視点で見ることが建築だとするとオフェンスはボールを蹴って進める人でそれが単なる針金でよいのか。

まあもはや時間ないからそれほど改善してる場合じゃないのかもしれない。

コラージュは案外微妙だったからやはり絵はここまでで 説明の方を考えとこうか。
どっちみちこれが建築空間的であることをいいたいから外部講評からの発展事項はそれくらいにしてA1ボードに乗せる内容を考えるか。ボードかー。やっぱ図面とかかな。

明日学校いってゆっくり考えよ。とりあえず朝ご飯食べられる時間に起きよっと


2012年2月26日日曜日

つぎは

つぎはどうしようか。

人の、建築のイメージまではなんとかもっていきたい。

やはりこれがなんになるのかっていうのはどの人も感じるし自分も感じる。

SDLのプレゼンを考えたときA1ボードにのせるべきものがつぎにやるべきもののような気がする。

あれから得られることを建築の設計にいかすのか。

八重樫さんにはあれをつくって眺めること自体もう建築をみることなんではと言われた。菅原さん曰く、それはすでにあれが何となく空間的だから。

そりゃそうだ。だって建築的な感覚でサッカーを変換したのだから。
しかし視点はオフェンスでつくった。オフェンスとしてボールをもっているときどのようにDFを感じるかということを意識して変換した。そこが重要だと思ってプレゼンした。もしそれを第三者的な視点で見ることが建築であるとしたらどうなんだろう。
もちろんボール視点では壁という考え方ができないと思ったができるか。

ボールを妨げるのはディフェンスだしね。ボール視点でみたときどんなことが変わっていくのだろう。オフェンスはなんなんだろう。ボール視点になったとたん、壁の貫通の体験がある。
壁の貫通か。なんだろう。

ボールって人間と違い、速さに大きく変化がある。

またオフェンスやディフェンスには意思があるけどボール視点でみたときそこに意思はなくなってずっと悩んでいたゴールや敵という概念から逃れられるのではないか。

それはともかくここにさらに深くいくための鍵があるように思う。

ボール、そしてオフェンスそこらへんの意味と建築への転換はどうするかだ。


ボールは蹴られる。攻めのときはオフェンスに蹴られる。オフェンスが建築?
そこを体験する人たちがボールであり利用者か?じゃあ壁はなんだ。

覗き込むことでなんとなく建築的な雰囲気を得ることは何を意味するのだろう。それをすることでどんな新しいことが設計に生かされるのか。やはり今までのはスタディだったんだ。

なんとなく建築的な視点でみることは何の視点だ。ボールの視点なのか。オフェンスやディフェンスのつくり出す空間を眺めて動くことが建築的なみかたか。本来はオフェンスやディフェンスの意思でボールは動くが、それをボールの意思だとしてオフェンスやディフェンスをスタティックなものとしてみたからできあがったのだとすればすごくうまく説明がいくんではないか。

きた。

では建築的な視点のボールの動き方は貫くや超えるくぐるなどその壁がつくり出す状況を読み取って行われる。そこでパスは表現するのだろうか。またオフェンスは存在の意味だけでよいのだろうか。

読み取ること。それが今回の設計のポイントだとすればどのように建築の設計にいきてくるのだろう。

設定にのっとるとすると時間軸が下に向かうから常に下向きに動くことにはなる。

そこに道筋をしめすことが建築行為だとしたらつまりプレーの設計ともいえる。
オフェンスの攻撃を成り立たせることが建築の設計になる。

うーん。言葉ばかりすすまないで実際にどんなことができるかもだしたいな。

あの模型でいうとだ。まずパスを消す。そしてそこにボールの道筋を示すのが設計で。うーん。その設計がなんになってくるんだろう。ボールの道筋を設計して、例えば貫く、くぐる、こえるなどだ。そ れ を? そこを単純に歩く場所にしてしまうか。それもひとつある。そこでスケールをいじるのか。あの空間体験がどんなスケールで行われるのかだ。

うおおおお。でてこいでてこい。

意味をもつタイミングっていうのがあるかもしれない。自由にボールの道筋を選択できるのではなく、あるときのある状況のなかの判断であることは譲ってはいけないのかもしれない。うーん。とりあえず過去にはいかない。どれだけ未来を選択するかは自由だけど。

サッカーではボールは1つだけど道筋はもってなくても示してよいかもしれないかもかもかも。

どれだけの未来を選択できるかが建築の設計とどのように関わるか。そのボリュームを範囲と時間帯のボックスを挿入するとか。

でも体験する空間がフラットでいいのか。

もどるとここにボールが通せるとか考えることが建築を考えることだとか。うーん。

2012年2月16日木曜日

ヘボプレー

中間発表、最終講評でヘボプレーを見せてくれたら分かりやすいとの指摘をいただいた。
ヘボプレーとはつまりすぐ取られるということだ。

今の設定だと取られるということは線が壁になる、壁が線になるということを示している。それはどうなんだろ。そもそもオフェンスが線という設定をした時点でそれはオフェンスが取られずにゴールまでボールを運ぶということを前提としている。

そこがおかしいのかな。ディフェンスが抜かれる際、ディフェンスの状態からそれが抜けやすいとか議論してはいけないのではないか。むしろすべて壁なのではないか。人と人の関係を壁×壁で表現する。

そうすると攻守の切り替わりは何で表現されてくるのだろう。その動き方だけで攻守は分かるのか。前にも触れたが相手がいるということは重要だ。それが同じ表現で共存できるのだろうか。ディフェンス同士、オフェンスとディフェンスの関係は異なる。前者は協力するし、後者は互いを妨げる。
ドリブルなら分かるかな。一方でロングボールは分からないかもしれない。うーん。


あと1つ気になるのが壁の高さだ。離れるほど高い。近いほど低い。普通の人がみたら壁が高い方がプレッシャーがかかっているように感じるからだ。これは完全に玄人的視点でさだめている。近い方が抜きやすいから低いんだ。これはいいか。

戻ろう。

仮に線と壁が正しいとしてその表現技法ではなく、模型で可視化したことに対して見えてくるものがなんなのか。それがもしかしたら表現の修正に効いてくるかもしれない。

この模型をみるということは時間を見るということだ。ある時間帯のある場所からある時間帯のある場所をみる。時間をみる。そしてディフェンスにはなかった見方が必ずあってそれが裏をつくり出す。
オフェンスの名プレーはディフェンスのヘボプレーであるともいえるからその見落としていた視点が名プレーであり、ヘボプレーを生む。

ディフェンスの名プレー、オフェンスのヘボプレーはあり得るのだろうか。あり得る。もはやほとんど同じかな。オフェンスが見えていたらよかった場所があるはずでそれはディフェンスの見落としとほぼ同じだと考えられる。ではその形態は変わってくるのだろうか。
ディフェンスは壁としての連携である。取るまでを表現するのかな。
うん。つくってみようかな。

で。

つくってあるオフェンスの名プレーについてどうしようか。
そのディフェンスのヘボさを表す視点をどのように扱うか。壁であったら良かった部分。
ディフェンスの名プレーだったら出したら良かった部分。
可能性の議論になるがこの一度トレースの終わったあとに見えてくるのはこの可能性などの虚の部分だ。

この虚の修正点というか赤ペンというかそれが何を示すのだろう。それが建築か。
ひょえええ。

むずかしい。

つまり修正したら絶対的になっちゃうから。なんかへりくつだな。違う気がしてきた。
対ファンタジスタの覚醒。

名プレーこわしてどうすんだ。うーん。時間を超越してみれる。未来予測はできる、過去については??  うーん。

その表現はなんだ? 同じ表現ではダメだ。「壁であったらよかった場所」をフィールドを引っ張る?? 「ソリッドだったらよかった場所」だよな

だからなんなんだー。

今やってることを整理すると模型を用いて時間をある程度超越してみることができるようになったとき、ファンタジックなプレーの裏のヘボなプレーを修正できるということだ。

問題はその修正の意味だ。もう虚の世界に突入している。模型をつくってそれに対して分析し加えるのかどうか。

つまり絶対的になるために、完璧にディフェンスするために手をくわえること。実際はそんな動きはできないような物体として現れたものたちはなんなんだ。それはサッカーではなくなっていく。
ファンタジスタがいない世界が建築だとすると、そこを壁ではなく、フィールドなどの本来絶対的な条件で埋めるべきなのではないか。

うーん。いまだへりくつ。新しくできる壁かなんかは貫かれるのか否か。

あんまり頭でっかちになるよりも模型つくったほうがいいかな。

ディフェンスの新しいシークエンスか。だ。か。ら?

実際の建築に考え方でもいいから何か示唆を返したい。動×動の等価で変化するものによる空間のシークエンスは固定的な建築と切り離されて議論してきた。それをどのように建築に返すか。うーん。

さらなる発展

卒制の発表が終わり、どのように発展させようか考えています。これは全然飽きないからいいね。まず最初に何日も手伝ってくれたりょーすけ、やなぎださん、よこたさん、俊平に感謝したい。展示サポートしてくれた永田さんにもかなり感謝している。みんなでつくった卒業設計だった。だからこそこれで終わりにしてはいけない。
石田先生に指摘いただいた未来派彫刻をいかにして超えていくか。
堀口先生にはボールは徹底的に表現せず、人の動きだけ表現し、またフィールドが歪むなどの実から虚への展開というアドバイスをいただいた。確かに人の動きが重要であるとすればボールであるパスは描かない方が良い。ではフィールドが歪むとはどのように捉えたら良いか。なにかしら手順をおそらくふまないと実空間に返ってこない気はするのだが。
今まではサッカーをそのままつくることに力をいれていた。しかし出来上がったのはサッカーそのものであり、それ以上になりえない。そこに1つわがままをいれることが建築なのかな。前回というか最終までで一番重要なのは動×動の関係だ。それが建築と定義した。そしたらそこを利用するときの建築的偏見みたいなものをいれればよいのかな。未来派がどんなことしたか調べないとな。

プレーを分析して時間変化する空間を可視化した。それを分析して新しい何かを発見するのか。プレーの時間変化を可視化したことにより、新しい見方がうまれたことは確かである。模型をみるという行為は時間変化するプレーを一見することができるということだ。
それによってグティのスルーパスの模型は一見ごちゃごちゃしているが実は一番フリーなプレーであるというギャップを生む。ディフェンスはプレー開始時フリーなスペースをつくらなかったが時間変化とともに居場所が変化し、プレー後半ではフリーなスペースをつくる。これを同時にみるのでフリーな様子がよく分からない。
「時間」が重要である。時間をもって空間を使うこと。使い方を考えることが重要なのである。
空間を認識する指標は時間変化のなかの人と人の関係であり、人とものの関係である。これが建築を考えることである。

それとは別の話かもしれないがサッカーのファンタジスタではなく建築言語のファンタジスタをプレゼンしたい。時間をもって形成される絶対的でない人による空間を貫通や超えるという概念がファンタジスタのプレーである。

今問題なのは図を立ち上げただけになっているということだ。それは未来派がやったことらしいし。それに対する解釈や変換を加えないと作品になるとか実際の建築にかえってくるだとかを議論できないのではないか。

時間を同時的にみる俯瞰的な視点と平面できってみるようなその場の視点をどのように解釈し次の段階に持っていくか。

同時的にみるインフォグラフィクス的な意味合いをどのように再解釈するのだろう。また同時的にみれるようになったことにより空間の時間変化を意識しづらくなったことをどのように説明しようか。

自分のつくったものがなんなのか分からない。

壁の高さの意味合いがインフォグラフィクス的すぎるのかな。
壁を薄くしてもそれを突き抜ける針金は同時じゃないから、結局貫く瞬間は壁が厚かったりする。

さてどうしたものか。



2012年1月26日木曜日

ここにきて

みちのり÷速さ=時間にしてその選手のの物理的自由度を時間的自由度に変換して高さにしたところでそのDFのその場所における時間的猶予が意味しているものは実はないのではないだろうか。その場所における時間的猶予は意味がなく、やはりそれが相手選手との距離として現れ、その結果の時間が重要なのではないか。そうすると意味がないので無理に四次元を統合する必要はなく、立体オブジェとして解けてないままで大丈夫なのではないか。むしろ抜かれるそのときの壁のリスキーさが重要であり、壁の厚さはそのオフェンスの進行方向の軸との差異の角度を指標にすべきではないか。スライディングなどから決めるよりも妥当な気がする。進行方向の差異というか体の向きの差異、そしてスピードというか体勢。

まとめると体の向き、進行方向、体勢の際から壁厚をだしてそのリスキーさが高いほど壁が薄く、そこを貫通する。できるかな。

で、壁は交わることとする。

2012年1月23日月曜日

次元の調整

物理的自由度がおきかわった時間的自由度は1秒=2mの変換との関係を調整しなくてはいけない。
つまり物理的自由度を表す最寄りの相手選手との距離は、走って埋めるのにどのくらいの時間を必要とするかということだ。そこで物理的距離をそのまま時間軸にもってきたら破綻が起きてしまう。

のへのへ。

つまり道のり÷速さしなくてはいけない。

2012年1月22日日曜日

隙とファンタジスタの華麗さ

各プレーの時間軸にたいしてどの位置に壁を設けるかというのをオフェンスの進行方向の軸とのズレによって定めることにした。つまり実距離が3mのとき、DFの進行方向がオフェンスの進行方向と45°ずれていた場合、時間軸に対して上と下に1.5mずつ壁があらわれる。
90°の場合、下に3m。0°の場合上に3m現れる。比で計算していいかわからないがとりあえずやってみる。そうしてうまれた隙を滑らかにくぐり抜けるファンタジスタは模型においても華麗さをまとうのではないか。

ここで次の問題になってくるのが放置していた壁の厚さだ。絡み合う部分では壁の厚さが重要になってくる。やはり壁が変化するのはプレーの接点のみだな。

ギグスですら終わるか怪しくなってきたがやるしかない。少なくとも進歩はしたと思う。

4次元における時間軸に対する時間的猶予について

相手との実距離と進行方向の差異の角度がディフェンスの守備の時間猶予になることがわかった。つまり時間を持てばトレースした空間だけでなく実際の守備範囲を示すことができヴォイドに新たな意味が付加される。このような変換で現れたヴォイドは時間軸をもっているので本当のヴォイドとして現れる。
具体的にはオフェンスとディフェンスの進行方向の差異がおおきく影響する。
その角度をx とすると0<x<90°のとき向かい合っているということであり、つまり対峙しているともいえる。xが0に近いほど相手と真正面で向き合っていることになり相手との距離がダイレクトにこのオブジェの交差に影響する。つまり線に接近していく。しかし実際は角度が0ではなく角度をもってるので最短距離がそのまま線に接近する距離になるのではなくある程度後退する。それが「隙」である。
一方で90°<x<180°の場合、相手に抜かれている。または追いかけていることになり、線からは離れる方向に壁の高さが伸びていく。

相手への時間的猶予がこれで示せるのではないか。うまく示せばオブジェの空間も「時間軸をもった空間」として議論できるのではないか。

ふぅ。実際にギグスで一度仕上げるか。

4次元

Z軸に2つの軸がある。
時間と壁の高さとなる最寄りの敵選手との距離だ。

プレーの軌跡は2次元に置き換えられ、それに時間軸と自由度の軸が入っている。
まずこの軸の設定の説明が必要だ。
まずサッカーのプレーは時間とともに人が動くので時間軸は必要である。同じ場所をことなるタイミングで通り過ぎるからそれを断面的な差に置き換えることで表現している。

問題は次だ。
3次元で絡み合う二次元の帯に、縦軸を新たにあたえることで時間変化する壁にしようとした。そのある解釈の産物としてできた立体のつくり出す空間はなにを意味するのか。

まず立体グラフとしての意味はある。なぜならプレーの解説ができるからだ。
その一方でできあがる空間の意味はなんなのだろうか。
実際のスペースは2次元に展開されている。しかし三次元的に立ち上がることでスペースに時間軸がもたらされる。つまりその高さの分そこはヴォイドつまりフリーなスペースであることを示している。
ここで振り返ってみると壁の高さは最寄りの選手との距離である。つまり自由度である。その範囲自由に動けるのである。ここでは高さに変換しているのでその行動範囲の自由度が時間的自由度に置き換わっていて時間軸を伴ってフリースペースを利用できるということになる。
行動範囲の物理的自由度が時間的自由度に置き換わることはなんとなく納得がいく。しかしその広がる方向は素直に物理的自由度を表す二次元的展開ではダメなのだろうか。ダメである。可能性の場所に物体をつくるわけにはいかない。トレースされたプレーの軌跡は守り、しかしその選手がどれだけの空間を扱えるかどうかというところが高さで表現される。まあそれはいい気がする。問題は伸びる方向だ。高さが時間軸なら時間的自由度に変換された物理的自由度は上と下に等価に分配されるべきではないか。そうするとこの前の模型は違う。そしてオフェンスの線はそれらを貫通することになるのだろうか。

オフェンスが線であることも少し考えてみよう。今回の設計は「fantasista」という題名から見られるようにオフェンス視点で描いている。オフェンス視点ではディフェンスは壁でありプレーの方向を制限するものである。この場合、ディフェンスのプレーの自由度がオフェンスのプレーに影響を与えるので自由度の高さ方向の変換はディフェンスにのみ行われる。伊フェンスは自由度を持つわけではなく、いわば結果現れた道筋みたいなものである。その道筋の平面的変化と断面的変化によってディフェンスの壁をかわす。
やはりある程度の時間をカバーすることができることを表す時間軸もった壁の設定を細かく見る必要がありそうだ。

もう一度ディフェンスの壁について考える。上と下に等価にあるということはもう少し速く来れたかもしれないし遅くいたかもしれないということを表している。そのどちらにもかすらないときにディフェンスは抜かれる。届かない。場面によるのか。はやく行き過ぎて抜かれた場合上に伸びて、遅くいったので届かない場合は下に伸びるのか。そうだ。最寄りの敵との軸はオッケーで問題はどのように伸ばすかだったんだ。
ではその伸ばし方はどのように決めようか。
その選手に進む方向と相手選手への方向の関係から見出せそうだ。つまりはやく通り過ぎてしまった場合、進む方向と相手がいる方向が大きく異なる。一方で遅くいった場合、進む方向と相手がいる方向が同じだ。ふむ。なんとか説明できる予感がしてきた。そうするとオフェンスの線はヴォイドを通れることになるかな。

2012年1月19日木曜日

「隙」

この卒制の勝負どころを見極めたい。

建築の「空間」では評価できない建築のようなもの。
データであると同時に忠実なプレー空間の再現でかつ演出。

「ファンタジスタのプレー」そのものの構築。

身体をトレースし、失われた身体性を指摘する作品と比べてサッカーが建築に近い点は、相手が存在し、それが障害物として現れ、その関係性から空間が議論されることだ。

つまりサッカーはかなり建築的なものである。

むしろ建築より建築かもしれない。

建築は壁によって区切られた空間のなかでアクティビティが展開される。
しかし、利用者の任意性を手放しに放置し、起こりうるアクティビティはある想定の中で自由に展開されるものとしてつくられる。
一方でサッカーの空間は空間を構成する要素それぞれが意思を持っていて互いの関係の中で拘束された空間を利用する。しかし、一方でそれら要素は絶対的ではなく、リスキーな壁とも表現できるように多くの「隙」が存在する。その「隙」の世界のなかで創造性を発揮するのがファンタジスタである。

つまりこのオブジェは絶対的にみえる線形空間のようでいて「隙」を模索するファンタジスタの創造なのである。それは空間を構成する要素それぞれが等価に意思を持っていてかなり複雑な動的な構築の中で発見される「隙」である。

つまり鍵となるのはシークエンスであり、それを端的に表したものがこの作品である。


うーん。

どうかな。

言いたいことを言ってるようだけどそのことがデータであり演出であることとどんな関係があるのだろう。

もしかしたらファンタジスタは模型の色を変えた方が良いかもしれない。

プレゼンについて

本日日付が変わり1月19日。終了予定は1月27日。学内A1×10枚提出が2月3日。学内講評会が2月10日。つまり来週中に図面を一通り書くということだ。

最終提出物の暫定をあげよう。
ギグスドリブル、バッジョパス、バルサワンツー、グティスルーパス←暫定
もっとつくってハイライト10くらいは欲しい。10人のファンタジスタみたいに。プレーの選定は性質の異なるプレーを恣意的に選べば良いだろう。
その一方で10分くらいを再現した大きな模型も欲しい。そこがほとんど決まっていない。
トータルフットボールとその他戦術との違いみたいなものもやりたかったけどそれは後で考えよう。とりあえず学内最終はそんな感じだ。

A1×10枚はダイアグラムの説明と10のプレーの平面と立面、主要断面などか。それをどんな風に配置するか。明日からつくり始めよう。

最終へ

ここ数日集中が切れてる。

なぜかと言うとこの卒制は建築にすることが難しいことが分かったからだ。難しいことは前から分かっていたが、今は根拠を持って難しいことを説明できる。


昨日ゼミをしていただき、この卒制はこれでいいのではないかとの指摘を受けた。根拠を求めるものがないし、建築にしようするよりも、これをつくったことでよいのではないかということだった。任意の条件で可視化された物体や条件そのものにも建築的な根拠をもとめることはできず、いわば立体グラフのようなものになった。

建築の土俵で評価できない。でも建築のようなものができた。
プレーのデータあると同時にそのプレーの演出でもある。
そんな「ファンタジスタのプレー」そのものができた印象だ。

問題はプレゼンだ。どのように説明するか。
言ってしまえば、突き詰めた結果、建築にはならないとわかった時点でこの卒制は失敗だったといえる。なぜなら建築の卒業設計だからである。結論、サッカーと建築の空間論は完全に交わることはなかった。だから建築にはならなかった。しかし接点はみつけた気がする。

プレゼンはサッカーのプレーの解説になるだろう。立体グラフで説明し、その空間構成を説明する。立体グラフと違うのは実際のプレーに限りなく空間構成が近いことだ。しかも時間を
扱っている。

それをプレーの印象、つまりオーラみたいなものまでプレゼンできたらいいな。それはパースやこの卒制のイメージともいえる部分だ。

様々なプレーをつくってその違いをきれいに示そう。

2012年1月16日月曜日

建築への変換言語

結局建築への変換言語はそのままサッカーをトレースするものは少なくなりそうだ。

そうすると問題は変換の仕方とその先に何が出来上がるかということだ。

スラブの高さを1秒=2m、壁の高さを最寄りの敵選手との距離とすると案外急でしかもあまりかっこ良くない。模型でつくらないとわからないけど。

ロングボールはビット伸びるからかっこいいんだろうな。しかもあっちは厚みの変化が大きい。

厚みに関しては現在あまり重要視していない。それをパーソナルスペースからやってもたいした変化にならないからだ。よってサッカーの身体スケールをそのまま取り入れているのはなくなった。もしなにかプログラムが入るとしたら1.4mそこらじゃほとんど対応できないし。

では何になるのだろう。やはり統一の変換言語に無理があるのだろうか。

何かプログラムいれたら面白そうなんだけどなぁ。

とりあえず学校いくか。

2012年1月15日日曜日

サッカーから建築をつくることの可能性

いよいよこの問題の答えを出さなくてはいけなくなってきた。

とりあえずプレーの表現の仕方は大体固まった。今は全て壁で表現した模型にしようと思うが
問題はそれがどのような特徴を持っていてどのような建築のプログラムに向いているかということだ。

ロングボール、ドリブル、ワンツー、スルーパス。これらの壁の出会いかたが様々あるのであろう。

ロングボールはボールの落下点の一点に集中するので壁は低くなりながら一点に近づく。しかしロングボールを処理するもののみとつながって次の場面へつながる。DFが2人だとすると2方向から圧迫されるがそれに空間をつなげられるわけではなく、かわすように別の方向にのびていくもの。


ドリブルは壁が遠ざかったり近づいたりかわされたりして相互に影響を受けながら交わる複雑なもの。くねくねするが一本で壁をかわしながらゴールまでつながる。


ワンツーは壁が振り回されるのが特徴。あっちいったりこっちいったりする中でオフェンスやボールは最短距離で結ばれる。

スルーパスは壁の向きが急激に変わる様子がつくれる。壁が伸びていく方向の裏で広がっている空間に一本で伸びる空間。


全て向きというか。壁の流れというか変化の議論だよな。それが何を意味するんだろ。シークエンスだとしたらそれに何か機能を与えてあげるとなお良い気がする。

うーん。やっぱり模型つくってものを見てアーダコーダって感じかな。

2012年1月12日木曜日

シークエンス

機能のシークエンス、知覚のシークエンスなどシークエンスといえど様々なものがあることを指摘いただいた。それがプレーによって異なり、それぞれに適したプログラムがあるのではないか。

まずドリブル、ロングボール、ワンツー、スルーパスなどの種類はそれぞれどんな特徴を示し、何を言うことができるのか。
ロングボールはその多方性の処理、ドリブルは複雑に行き交う人の動線をくぐり抜けていくこと、ワンツーはボールによって空間を振り回すこと、スルーパスはそれまでの連続性を断絶すること。
DFを壁、オフェンスをスラブと表現した変換手法では....

こんなごたごた言ってないでやってから考えるか。
とりあえず0.25秒おきでやった場合の模型は地味になりそうなのでパーソナルスペースは近づいたときだけ考えることにしよう。
とりあえずやります。


あっちいったりこっちいったり。

断面=時間の弊害2

断面方向を時間軸にするということはプレーを平面的にしか捉えないことになることがわかった。つまりプレーを線にするということだ。いくら考えても壁の高さがわからなかったのはこのためだ。なんて単純なことに気付かなかったんだ。常に動き続けるプレーしかみていなかったからだ。
プレーを線にするというのはかっこいいこと言っているようだが、根本的にプレーを2次元で表現するのは不可能だ。
ギグスのドリブルは任意で段差を一カ所に設けたからうまくいったんだ。つまりつねに断面的に時間の縛りを設けようとして、0.25秒おきにプレーを切り取った今回の手法では、そこに実際のプレーの刻々とかわるプレーの断面的要素を反映させることは難しく、プレーを線で捉えるしかない。刻々と変わるものがやりたければ断面方向を時間軸にするという設定を外さなくてはいけない。しかしそれでは動線の交わりを解けない。

つまり断面方向を時間軸にしたい場合、プレーの認知論や空間論ではなく、そのプレーの人の行き交う複雑な構築を表現するものにしかならない。それはもはやなんなのかわからない。

重要なプレーが平面的な動きが大きいものとは限らないので、同じ場所にずっといるんだけど重要な役割を果たす選手は表現ができない。

リスキーな壁が狙い所な気がしたがそれと構築論を一緒にやるのは無理だ。

つまり残った選択肢は空間論をすてた構築論をやるか、構築論をすてた空間論をやるか、それとも中途半端にハイブリッドっぽくやるのかそのどれかだ。

やばいね。

2012年1月10日火曜日

リスキーな壁

何から記せばよいだろう。

とりあえず今日は単調になってしまった昨晩の図面に変化を加えるためにもっと詳しくギグスのゴールをみてみることにした。そうすると細かな動作がその場面をリアルに感じさせるのだとわかった。 

一方でオフェンスをスラブ、ディフェンスを壁としていたが、それはオフェンス視点のディフェンスしか語られていないことに気付いた。

オフェンス視点で語られるディフェンスは近づいたときにしかその意味をもたず、ディフェンスの細かな動作の連動によって構成される守備網の構築を表現できないことがわかった。

空間論を諦めて構築論を語るにしても厳しいことが分かった以上、ディフェンス視点の空間も考えざるわけにはいかなくなった。

そこで中間の全てのプレイヤーの空間を表現する手法に戻ろうと思う。

問題だった広がりとスピード、壁の厚さ、さらに壁のリスキーさなどが以前よりも考慮された状態でもう一度考えてみようと思う。今度は0.25秒間隔で。

最後にエスキスしてくれた圷さんありがとうございます! 
人に話を聞いてもらうと精神的にも楽だし、新しいアイデアもでる。自分もできるだけエスキスには親身になってあげようと思った。想像以上に相手は救われる。

2012年1月8日日曜日

トラップ

1998フランスワールドカップ イタリア対チリ ヴィエリのゴールの模型をつくった。
これはDFからのロングボールをロベルトバッジョがダイレクトでビエリへスルーパスをだすというプレーである。

パスをスラブ、人の動きを階段、相手を壁とした。

背後からのロングボールをダイレクトでスルーパスを出すバッジョのプレーは、同一方向の階段とスラブの交わりによって表現される。

しかし、現在パススラブを幅1m、階段も一定の幅で設定しているので上手く動線がとけていない。

それらの幅をいかに設定するか。

ロングパスは本来ならばボールの幅、つまり約25cmくらいの幅のスラブであるはずである。
しかしそれでは人が歩くことができないので1mの幅に設定している。その幅に明確な設定はない。壁がなければ幅30cmくらいでもわたれるかもしれない。そっちのほうが素直である。

ロングパスの幅が狭くなれば、1m以上の幅をもつ選手のプレー可能範囲との差がうまれ、トラップを処理できるかもしれない。


そしてもう一方で壁の設定を変える。
壁の厚みは現在なんとなく、プレッシャーが増しているから厚く、高くとしたが、もっと丁寧にみると、DFの守備範囲と対応させるべきではないかという結論に至った。
つまりオフェンスとどのような状態で対峙しているかによって壁の厚みを変えようと考えた。そして壁の高さはオフェンスに近づくに従って2次関数的に高くなるように設定する。

とりあえずギグスをつくってみる。マウスが壊れたのが痛い。

2012年1月6日金曜日

断面=時間の弊害

断面を時間軸に置き換えている現在。上からくるロングパスや、選手の動く方向と同じ方向のパスの扱いが難しくなっている。

上からくるロングパスは時間の問題、動く方向と同じ方向のパスは固定の問題

うしろからくるロングパスをダイレクトで出したバッジョのすごさを出さなくてはいけない。

階段のあり方に注目かな。進行方向とパスの方向は厳密には異なるはず。つまりトラップをどのように表現するかの問題である。

ボールの軌道がチューブ状の空間であると仮定したらダイレクトパスはその方向を変えるために一瞬現れる何かである。つまり、ボールの勢い、方向を変える何かをトラップとして表現しなくてはならない。ボールの勢いを何で表現するか。広さ?扉?扉かな。
ボールの軌道がスラブではなく、チューブであるという違いもいまいちかな。その違いはナンなのか。敵が壁である説明はなんとなくできたが味方がスラブっていうところをもう少ししっかり決めておくか。

この建築の空間を体験する人はオフェンスであり、そのボールが運ばれていくプロセスを相手のプレッシャーを受けながら体験していく。よって、人が移動するためにスラブが必要である。ではそれはフラットでよいのか。屋根はなくていいのか。

ボールに意識が集中するあまり、下を向いてプレーしてしまうということがよくある。つまり屋根がある状態なのではないか。それは相手のプレッシャーによってもたらされるものであるから壁の延長戦上のものだと思う。

ではスラブはフラットなのかどうか。
実際のピッチはフラットである。
しかし体勢みたいなものがあるとしたら斜めでもよいのではないか。しかし、進行方向に変化させることはできない。

ボールと人の違いは何か。
三次元的に移動できること。速いこと。どちらも現在はその違いが消えてしまっている。パスコースを穴にするというアイデアはいいが、穴では移動できない。それかメガホンみたいなのを貫入させるか。

そうするとスラブとの違いはなにか。滑り台にでもしようか。ありかもな。

とりあえず階段との関係を考えなくてはトラップが扉なら、階段に扉があらわれるとか。

模型をつくろうかな。

相手という壁

「FKの壁」「鉄壁のディフェンス」「壁パス」などサッカーにおいて用いられる「壁」という言葉は主に行く手を妨げるもの、跳ね返すものとして使われる。

オフェンスにとってそれは空間が動いているというよりは障害物が様々に形を変えながら立ち現れるという表現のほうが適切だ。

つまりDFは壁なのである。オフェンス空間を建築の体験できる空間だとしたときに、ディフェンスは空間ではなく壁なのではないか。

ディフェンスのプレッシャーのかけ方は様々である。それを多種多様な壁で表現しよう。
それはまさに建築言語で語られる空間体験。

サッカー言語で語られる空間

まず思いついたこと。加速度を階段?の傾きにすること。同じタイミングで走り始めても抜かれた方は遅く、抜いた方が速い。それを抜いた方は急にして、抜かれた方は緩やかにする。

戻ります。


サッカー言語で語られる空間。
例えば壁が迫ってきてそれをかいくぐるように抜けていくイメージ。それを中間のギグスの模型では先に階段を降りることで表現していたが、階段をプレイヤーの接触点に持ってくるのではなく、プレイヤー同士の接触点ではそこにDFのプレッシャーという壁?が現れる。接触点ではない、走っている部分でその速さに応じて階段を降りる。

空間の体験者はオフェンスでスラブとし、ディフェンスは壁とする。

DFの状態を様々な壁として表現する。

現在の課題はその様々な壁のスタディ。そしてどの試合を再現するか。その批評性を建築言語に対するものなのか、サッカーに関するものにするかを定めること。
この3つである。

とりあえず壁のスタディといきますか。

2012年1月5日木曜日

誰のためのモデュール??

人のための建築でないなら人のためのモデュールでつくられることはない。

もう一度振り返るがこれはサッカーのための建築であり、人のための建築ではない。サッカーの素晴らしさを建築の素晴らしさに変換する必要はなく、ありのままのサッカーを構築する。その空間を形容する言葉はサッカー言語で語られる。

完全なオブジェにするのではなく、人の侵入を可能にするものとする。その人を考慮する度合いが難しい。中間発表でつくった「ギグスのドリブル」はまだ人のための建築であった。なので1秒=2mの段差という建築的スケールに変換していた。しかし、建築でなくオブジェ「ケンチク」にするのであれば、人のためのモデュールでつくらなくてよいことになる。

ここで見直しておきたいのが、最終のイメージである。希望は2つある。1つは外見でチームの特徴が現れること。もう1つは内部を移動することができ、その空間がファンタジスタがいかに素晴らしいか示されていること。普通の人が通せないパスを通すのがファンタジスタであれば普通の人では通れないとか普通の体勢では通れない空間であればよいのではないか。
つまりギリギリでかわすときそのギリギリ具合がなんとなく表現されていれば良い。

時間の流れを断面構成に置き換えるのは一度気が引けたが案外良い気もする。

そしてなにより最終的な批評性について考える。この作品が他の人にどう見られたいか。
今のままではサッカーを知っている人も知らない人もその形でそのプレーがどういうものか分かるものになる。つまり戦術の違いが可視化されるということだ。そして建築でないので通れないとかがでてくる。はしごもでてくる。それでいいのか。ま、いいか。
壁の種類についてもスタディしないとな。

そしてドリブルとパスの違いをどうやってだすか。動線が錯綜する点は同じ。何が違うのか。ボールを触る人の数(ドリブルは1人、パスは複数)、時間(そんなにかわらないかもしれない)、タッチ数、振り回され具合(パスは大きくふられる)
カウンターとかは分かりやすい。壁が問題だな。違いをだせるとしたらそこだ。バルセロナでつくってみるか。とりあえず図面。

2012年1月4日水曜日

1秒=2m ?

重なる動線を解くために1秒=2mという設定を設けたが5秒で10mになる計算で、つくってみるとかなり高い。そこに目がいってしまう。たしかにダイナミックではあるがなんか違うような気もする。
動線の交わりも「抜く」場合は、プレイヤーの接点のバリエーションで解けるかもしれない。しかもすでに建築であることを放棄しているのでもはや段差をつける必要はないのかもしれない。うーん。でもダイナミックさがなあ。でも根拠が弱いなあ段差をつけることの。
仮に平面でやるとした場合、プレイヤーの接点の解法は多くあるのだろうか。でもその方がいいのかな。またどのようにものとしての迫力をだすのだろう。壁の高さとかかな。ぶつかっていても時間がずれていたらどっちにもいければいいのか。それが何らかの衝突をしていたらそこに何かが置かれるみたいな。ドツボ。階段や壁がなくなる論理だがそうするとケンチクから遠くなる。そしてそれになんの意味があるのだろう。

変換手法が難しい。サッカーの何を残してオブジェかするのか。そこに何の批評性があるのか。屋根は?...........



まず批評性を少し探してみよう。まずサッカー言語でしか語れない空間というかオブジェであることは外せない。むしろそれが守れればいい。
とりあえずもう少しこいつをつくってみるか。

そして接点のスタディをしなくてはいけない。

案外マンガ的な感じかもしれない。

ケンチクへの変換言語

プレーを建築にするためでなく、ケンチクにするために用いられるケンチク言語への変換手法はどのようなものがよいだろうか。これは恣意的になってしまうが、その変換言語を通してみたときに何らかの特徴がなくてはいけない。それは批評の対象になるもので、慎重に選ばなくてはいけない。恣意的であるが、ある程度の説得性をもたなくてはいけない。

いま、プレーに関わる度合いで壁の高さを変えようと考えたが、壁が立つことは隣の空間と断絶されることであり、パスがつながっている「感覚」は得られない。「〜ぽい」「〜感」みたいなものは必ず必要だと思う。やはり難しいのはプレーヤーの接点だな。近いほど厚いのか遠いほど厚いのかどっちの方が良いだろう。実際のプレーに明確な境界など存在しない。しかし、相手と対峙するとき、そこには絶対に何かがある。
あ、むしろ今は全てのプレーに壁があることが前提となっているが、スラブだけで表現し、何らかの交わりがあるところに何らかの特徴をもった壁をたてれば良いのではないか。そしたらそんなに壁が立たなくなってしまうかな。とりあえずつくってみて足していく方向でやってみようかな。壁は無理にたてなくてよかったんだ。

2012年1月3日火曜日

サッカーは建築にならない

OpenAの馬場さんがどう考えていたかは知らないがサッカーから建築をつくることは難しいのではないか。サッカーを建築の言語に変換し、建築としての評価を得ようとするとそれは建築になろうとしたサッカーであり、似せることしかできていない。
ありのままのサッカーでいてくれたほうが僕は嬉しい。そこに「建築」としての意味をもとめてはいけない。
サッカーの構築をそのままオブジェ「ケンチク」にしたとき、そこに現れるのはサッカー戦術の違いである。それをそのまま批評しては建築のフィールドにもってくる意味はない。
オブジェ「ケンチク」にすることの意味を問う。

またもう一つ。その今までは時の流れとともに現れては消え去っていくサッカーの構築を「ケンチク」としてつくることの意味はなんだろうか。「つくること」はそれがいくら錯覚であっても「こわすこと」をもたらす。その物体の現出と消失は何を意味するのだろう。哲学。
なぜ人間は生まれて死ぬのだろうかに似ている。

とりあえずつくってその違いをはっきりさせてから見えてくるものがあるかもな。バルサつくるぞ。

2012年1月1日日曜日

手掛かり

ただ単純にプレーを再現するだけでなく、そのプレーの何が優れているか、どのような変数が影響しているのか。その2つにより着目し、それらをしっかりと建築に落とし込まなくてはいけないと考えた。

そこでDFの向き、体勢、スピードに注目する。それらの背後に生まれるスペースを活用することで名プレーは生まれる。
つまり「DFをひっぱりスペースをつくる」「DFをだましてスペースをつくる」ことが大切である。

現在、模型スタディを進めた結果、DFにフェイクをかける方法として、パース、壁厚などがあげられた。DFはボールへの視線、相手への視線などから直線で表現し、その空間にばれないように徐々に変化する曲線の空間を示す。

問題点。これをどのようにまとめ最終物にしていくのか。また断面方向をどのように変化させるか。まったく先が見えていない。またここがジャンプしどきである。

まず断片的にプレーを建築化しているが、それをつなげていくのか。またはそれらをモデルとして解析していくのか。モデルにするのは良いとおもうがそれが根本的に同じ要素ではダメで、様々な種類が存在していなければならない。
例えばどのようなものがあるだろうか。

切り返し、スルーパス

いや、DFの向き、体勢、スピードなどから分類した方が良い。

一番単純なものがDFの走る向きと視線の向きが同じでスピードをあげて近づいてくる状態。グティのスルーパスがそうだ。これの変数が様々になることで種類分けができないだろうか。特にそれらを「DFが飛び込む」とかそういうサッカー言語に置き換えたい。

今一番基本としているグティのスルーパスの変数が少なすぎるから面白くないのではないか。グティのスルーパスの直線、曲線、パース。それに壁厚、切れ目のごまかしが加わったものが今のものである。高さや壁について手掛かりが少ない。まっさらな壁で良いのか。

またどのような終着駅になるのか。
敷地の環境が大事だと思うので少し考える。

DFの相手への対応はフィールド上のどこで行われるかによって異なる。特にペナルティエリア付近はシュートを打たれてしまうのでDFはより速く間合いを詰めようとする。よってペナルティエリア付近では名プレーが起きやすい。

また、周りに味方のDFがどれくらいいるか。チームの状況などが大きく影響する。DFがそろっていないときは1人あたりに対応する相手の数が増え、その一方で後ろに人数がいないので簡単に抜かれてはいけない。より慎重な対応となる。

つまり場所と状況をブレンドして得られた状況に対してプレーは行われる。あ、時間もあったか。しかしこれはあとで考えよう。

そしてその状況によってDFの対応が変わるのだから、建築にするとき、それらがなんなのかということに対して考える必要がある。

まっさらな敷地に建てるとしよう。
そこに配置するための最低限のてがかりはそこへのアクセスとなかに入る機能だ。

なんの機能になるのかはちゃんと考えてなかったので考えよう。
建築の特徴としては簡単に言うと直線的な空間とその背後で生まれる曲線による隠された?
空間をもつ建築。歩いて行くなかで新たな空間の発見がある建築。自分の場所が地図で書けない建築。

プログラムをデザインする。
[唐突な機能の組み合わせ。プログラムをみせる。用/強/美]

これは建築のめんどくさい部分だけど少し解かないと前に進めない。

本田との話ではなにか境界のようなものではないかと話していた。視点によって見える空間が異なることや、2つの立場の違うものから空間が構成される点では近い。

そしてこれはサッカーからつくった建築である。何か自分でサッカー関連で欲しい建物とかないだろうか。

キーワード:ギャップ、フェイク、空間発見、迷路、ラビリンス、ファンタジスタ、

サッカーを用いて建築をつくることは何が良いのだろうか。
これを簡潔にいいたい。
新しい建築の表現。うーん。もう少し空間スタディするか。