2012年2月16日木曜日

さらなる発展

卒制の発表が終わり、どのように発展させようか考えています。これは全然飽きないからいいね。まず最初に何日も手伝ってくれたりょーすけ、やなぎださん、よこたさん、俊平に感謝したい。展示サポートしてくれた永田さんにもかなり感謝している。みんなでつくった卒業設計だった。だからこそこれで終わりにしてはいけない。
石田先生に指摘いただいた未来派彫刻をいかにして超えていくか。
堀口先生にはボールは徹底的に表現せず、人の動きだけ表現し、またフィールドが歪むなどの実から虚への展開というアドバイスをいただいた。確かに人の動きが重要であるとすればボールであるパスは描かない方が良い。ではフィールドが歪むとはどのように捉えたら良いか。なにかしら手順をおそらくふまないと実空間に返ってこない気はするのだが。
今まではサッカーをそのままつくることに力をいれていた。しかし出来上がったのはサッカーそのものであり、それ以上になりえない。そこに1つわがままをいれることが建築なのかな。前回というか最終までで一番重要なのは動×動の関係だ。それが建築と定義した。そしたらそこを利用するときの建築的偏見みたいなものをいれればよいのかな。未来派がどんなことしたか調べないとな。

プレーを分析して時間変化する空間を可視化した。それを分析して新しい何かを発見するのか。プレーの時間変化を可視化したことにより、新しい見方がうまれたことは確かである。模型をみるという行為は時間変化するプレーを一見することができるということだ。
それによってグティのスルーパスの模型は一見ごちゃごちゃしているが実は一番フリーなプレーであるというギャップを生む。ディフェンスはプレー開始時フリーなスペースをつくらなかったが時間変化とともに居場所が変化し、プレー後半ではフリーなスペースをつくる。これを同時にみるのでフリーな様子がよく分からない。
「時間」が重要である。時間をもって空間を使うこと。使い方を考えることが重要なのである。
空間を認識する指標は時間変化のなかの人と人の関係であり、人とものの関係である。これが建築を考えることである。

それとは別の話かもしれないがサッカーのファンタジスタではなく建築言語のファンタジスタをプレゼンしたい。時間をもって形成される絶対的でない人による空間を貫通や超えるという概念がファンタジスタのプレーである。

今問題なのは図を立ち上げただけになっているということだ。それは未来派がやったことらしいし。それに対する解釈や変換を加えないと作品になるとか実際の建築にかえってくるだとかを議論できないのではないか。

時間を同時的にみる俯瞰的な視点と平面できってみるようなその場の視点をどのように解釈し次の段階に持っていくか。

同時的にみるインフォグラフィクス的な意味合いをどのように再解釈するのだろう。また同時的にみれるようになったことにより空間の時間変化を意識しづらくなったことをどのように説明しようか。

自分のつくったものがなんなのか分からない。

壁の高さの意味合いがインフォグラフィクス的すぎるのかな。
壁を薄くしてもそれを突き抜ける針金は同時じゃないから、結局貫く瞬間は壁が厚かったりする。

さてどうしたものか。



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