2012年2月16日木曜日

ヘボプレー

中間発表、最終講評でヘボプレーを見せてくれたら分かりやすいとの指摘をいただいた。
ヘボプレーとはつまりすぐ取られるということだ。

今の設定だと取られるということは線が壁になる、壁が線になるということを示している。それはどうなんだろ。そもそもオフェンスが線という設定をした時点でそれはオフェンスが取られずにゴールまでボールを運ぶということを前提としている。

そこがおかしいのかな。ディフェンスが抜かれる際、ディフェンスの状態からそれが抜けやすいとか議論してはいけないのではないか。むしろすべて壁なのではないか。人と人の関係を壁×壁で表現する。

そうすると攻守の切り替わりは何で表現されてくるのだろう。その動き方だけで攻守は分かるのか。前にも触れたが相手がいるということは重要だ。それが同じ表現で共存できるのだろうか。ディフェンス同士、オフェンスとディフェンスの関係は異なる。前者は協力するし、後者は互いを妨げる。
ドリブルなら分かるかな。一方でロングボールは分からないかもしれない。うーん。


あと1つ気になるのが壁の高さだ。離れるほど高い。近いほど低い。普通の人がみたら壁が高い方がプレッシャーがかかっているように感じるからだ。これは完全に玄人的視点でさだめている。近い方が抜きやすいから低いんだ。これはいいか。

戻ろう。

仮に線と壁が正しいとしてその表現技法ではなく、模型で可視化したことに対して見えてくるものがなんなのか。それがもしかしたら表現の修正に効いてくるかもしれない。

この模型をみるということは時間を見るということだ。ある時間帯のある場所からある時間帯のある場所をみる。時間をみる。そしてディフェンスにはなかった見方が必ずあってそれが裏をつくり出す。
オフェンスの名プレーはディフェンスのヘボプレーであるともいえるからその見落としていた視点が名プレーであり、ヘボプレーを生む。

ディフェンスの名プレー、オフェンスのヘボプレーはあり得るのだろうか。あり得る。もはやほとんど同じかな。オフェンスが見えていたらよかった場所があるはずでそれはディフェンスの見落としとほぼ同じだと考えられる。ではその形態は変わってくるのだろうか。
ディフェンスは壁としての連携である。取るまでを表現するのかな。
うん。つくってみようかな。

で。

つくってあるオフェンスの名プレーについてどうしようか。
そのディフェンスのヘボさを表す視点をどのように扱うか。壁であったら良かった部分。
ディフェンスの名プレーだったら出したら良かった部分。
可能性の議論になるがこの一度トレースの終わったあとに見えてくるのはこの可能性などの虚の部分だ。

この虚の修正点というか赤ペンというかそれが何を示すのだろう。それが建築か。
ひょえええ。

むずかしい。

つまり修正したら絶対的になっちゃうから。なんかへりくつだな。違う気がしてきた。
対ファンタジスタの覚醒。

名プレーこわしてどうすんだ。うーん。時間を超越してみれる。未来予測はできる、過去については??  うーん。

その表現はなんだ? 同じ表現ではダメだ。「壁であったらよかった場所」をフィールドを引っ張る?? 「ソリッドだったらよかった場所」だよな

だからなんなんだー。

今やってることを整理すると模型を用いて時間をある程度超越してみることができるようになったとき、ファンタジックなプレーの裏のヘボなプレーを修正できるということだ。

問題はその修正の意味だ。もう虚の世界に突入している。模型をつくってそれに対して分析し加えるのかどうか。

つまり絶対的になるために、完璧にディフェンスするために手をくわえること。実際はそんな動きはできないような物体として現れたものたちはなんなんだ。それはサッカーではなくなっていく。
ファンタジスタがいない世界が建築だとすると、そこを壁ではなく、フィールドなどの本来絶対的な条件で埋めるべきなのではないか。

うーん。いまだへりくつ。新しくできる壁かなんかは貫かれるのか否か。

あんまり頭でっかちになるよりも模型つくったほうがいいかな。

ディフェンスの新しいシークエンスか。だ。か。ら?

実際の建築に考え方でもいいから何か示唆を返したい。動×動の等価で変化するものによる空間のシークエンスは固定的な建築と切り離されて議論してきた。それをどのように建築に返すか。うーん。

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