2012年1月12日木曜日

断面=時間の弊害2

断面方向を時間軸にするということはプレーを平面的にしか捉えないことになることがわかった。つまりプレーを線にするということだ。いくら考えても壁の高さがわからなかったのはこのためだ。なんて単純なことに気付かなかったんだ。常に動き続けるプレーしかみていなかったからだ。
プレーを線にするというのはかっこいいこと言っているようだが、根本的にプレーを2次元で表現するのは不可能だ。
ギグスのドリブルは任意で段差を一カ所に設けたからうまくいったんだ。つまりつねに断面的に時間の縛りを設けようとして、0.25秒おきにプレーを切り取った今回の手法では、そこに実際のプレーの刻々とかわるプレーの断面的要素を反映させることは難しく、プレーを線で捉えるしかない。刻々と変わるものがやりたければ断面方向を時間軸にするという設定を外さなくてはいけない。しかしそれでは動線の交わりを解けない。

つまり断面方向を時間軸にしたい場合、プレーの認知論や空間論ではなく、そのプレーの人の行き交う複雑な構築を表現するものにしかならない。それはもはやなんなのかわからない。

重要なプレーが平面的な動きが大きいものとは限らないので、同じ場所にずっといるんだけど重要な役割を果たす選手は表現ができない。

リスキーな壁が狙い所な気がしたがそれと構築論を一緒にやるのは無理だ。

つまり残った選択肢は空間論をすてた構築論をやるか、構築論をすてた空間論をやるか、それとも中途半端にハイブリッドっぽくやるのかそのどれかだ。

やばいね。

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