2012年1月5日木曜日

誰のためのモデュール??

人のための建築でないなら人のためのモデュールでつくられることはない。

もう一度振り返るがこれはサッカーのための建築であり、人のための建築ではない。サッカーの素晴らしさを建築の素晴らしさに変換する必要はなく、ありのままのサッカーを構築する。その空間を形容する言葉はサッカー言語で語られる。

完全なオブジェにするのではなく、人の侵入を可能にするものとする。その人を考慮する度合いが難しい。中間発表でつくった「ギグスのドリブル」はまだ人のための建築であった。なので1秒=2mの段差という建築的スケールに変換していた。しかし、建築でなくオブジェ「ケンチク」にするのであれば、人のためのモデュールでつくらなくてよいことになる。

ここで見直しておきたいのが、最終のイメージである。希望は2つある。1つは外見でチームの特徴が現れること。もう1つは内部を移動することができ、その空間がファンタジスタがいかに素晴らしいか示されていること。普通の人が通せないパスを通すのがファンタジスタであれば普通の人では通れないとか普通の体勢では通れない空間であればよいのではないか。
つまりギリギリでかわすときそのギリギリ具合がなんとなく表現されていれば良い。

時間の流れを断面構成に置き換えるのは一度気が引けたが案外良い気もする。

そしてなにより最終的な批評性について考える。この作品が他の人にどう見られたいか。
今のままではサッカーを知っている人も知らない人もその形でそのプレーがどういうものか分かるものになる。つまり戦術の違いが可視化されるということだ。そして建築でないので通れないとかがでてくる。はしごもでてくる。それでいいのか。ま、いいか。
壁の種類についてもスタディしないとな。

そしてドリブルとパスの違いをどうやってだすか。動線が錯綜する点は同じ。何が違うのか。ボールを触る人の数(ドリブルは1人、パスは複数)、時間(そんなにかわらないかもしれない)、タッチ数、振り回され具合(パスは大きくふられる)
カウンターとかは分かりやすい。壁が問題だな。違いをだせるとしたらそこだ。バルセロナでつくってみるか。とりあえず図面。

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