2011年11月2日水曜日

建築向いてないとつくづく思う

11月2日。長谷工やばし。
再び「集まって住む豊かさ」ってのが噛み締めるほど分からなくなる。
何が豊かなんだろうね本当に。

30戸の異なる生活をばらまいて、それらを組み合わせることで生活が波及していく、公共集住みたいなものをつくろうと思ったんだけど難しい。

まず無限の組み合わせを可能にする空間のつなぎ方が重い浮かばない。
シンヤのやつは5種類の住宅内の機能の組み合わせなので10通り。それに予め設定した住戸どうしの組み合わせ(おそらく最大2つ)によって幅を持たせている。

しかしこれでは隣の家としか共有できないし、他は家の中で完結してしまう。

僕がやりたいのはおそらく全ての機能を公共、共有するようにすることだ。なのでお隣さんだけでなく、一番遠い家の人の趣味も共有したい。それが集まって住む豊かさだと思う。
みんな違うことを知って世界が広がる。30世帯のシェアハウスみたいな。でもなあ。大きな家をつくるのも建築的に違う気がするし。
やはりいかに遠くの家とつなぐかだと思う。そしたらやはり線状に住居をのばすか、フリースペースを設けるしかない。

真ん中にフリースペースを置いて、そこで行われる共有は全体の共有。
隣の家の人の影響は直接伝わった方がいいのかな。
隣の人がいなくなったら家が大きくなるっていうのを間仕切りを取っ払うことで可能にするのか下に滑車のついた三次曲面の壁でうねうね動かすか。
わからない。

とりあえず今回の集まって住む豊かさは表層だけではなく、人と人のつながりにあると思う。そこをいかにリアルに丁寧に設計するかだと思う。
ってことはやっぱり30戸集まったならそれら全員の人とつながりを持てるようにしたい。
だからといって大空間に家具だけではなく、「線をひく行為」をしなくてはいけない。

敷地内で家を分けるか寝るところあっちみたいな。じゃあどこに線を引くんだろう。
いやあワカンナくなってきた。


ドアだけつけるか。アメリカの住宅みたいにどこからでも入れる感じにするか。
でも入れない感じにするみたいな。いや、違う。
ホームレスでもないし。
野宿でもない。

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