何かと何かの間をゴールに見立てることはできる。それでは単純だ。
1つスケールを無視してやることも考えたがそれではあまり意味がない。
サッカーの身体スケールで考えるからだ。ただそのままのスケールというのは少しきついのかな。例えばジダンのマルセイユルーレットはせいぜい半径1.5mといったところだ。これはなにかにいかせるのかいなか。とりあえず明日は街を適当にまわってボール蹴れそうなとこ探してあさってたいとまわろう。
でもある程度予測をたてなくてはいけないだろう。
今日少しそのような視点でまちをみていたが正直思うようにいいパスが思い浮かばなかった。俺のセンスの問題か。
どこだろうなー
「ぶつけるのか」「空間を通すのか」「超えるのか」
「超える」は上方向の視界の抜けの問題か。「ぶつける」は素材の問題、「空間を通す」は新しい視点か
とりあえずぶつけるはきついし、通すも下手だからぶつかるかも。超えるもしかり。
まてよ。これはパタンラングエージに置き換えられないか。
なんだっけ、パス、ノード、ちがかった。ケビンリンチの都市のイメージだ
パス、ノード、ランドマーク、エッジ、ディストリクトだ。
パスはパス、ノードはパスの相手、ランドマークはゴール、ディストリクトはフィールド
参考はhttp://www.clb.mita.keio.ac.jp/econ/takeyama/field/path_node.html
確かにスムーズに置き換えられる。じゃあだからなんだだ。サッカーを用いることで都市の基本構成要素が置き換えられる。で?????
それにもとづいた新しい街をうわがきするか? 意味があるのか。
名プレーの意義はなにか。シークエンスの中での新しい視点というか切り口というか
梗概ではある予測された勢いみたいなものを裏切るものが空間的にも貫入、貫通、内包し、名プレーになるという考察だった。裏切ることを可能にする正確な技術がそれらを可能にしているんだ。
街中でのそのような裏切ることは一般的に危険なことと同義かな。まちは都市のイメージのようにきまったパーツによって決まった流れがつくられている。道路や歩道は方向性をもつ。
街中では歩道から反対の歩道とかなのかな。流れを変える。または上方向の広がりか。
アーケードの階段や店舗のセットバックはこれらに該当するように思われる。てことはそれほど新しくないのかな。
小川さんのいっていたここで草サッカーしたくなるというのは場面展開というよりも周辺環境(条件)だよな。傾斜とか、地面が何だとか。空間のスケールだとか。
じゃあ都市空間の勢いみたいなのを汲み取ってここはバッジョとかやるのかな。
都市空間の勢いとは動的なものなのか?
あのプレーではベルカンプは強烈なノードになってるよな。そこまでのプレーの流れをぐわっと反転させる感じ
バッジョのドリブルは変則的なノード?パス?。
プレーというのはノードの種類なのではないか。ゴールを目指すことはランドマークを目指すこと。パスは移動。シュートは?? パスによって内包はつくられる ノードやパスの指標となるのが貫入、貫通、内包なのではないか。
ドリブルも前に進む場合パスにもなり得るよな。
都市と明らかに違うのは人間のみで構成されているので、パスやノードが可変的だということ、ゴールも草サッカーのように設定するのであれば可変か。
マルセイユルーレット的ノードをつくるとか
裏の空間にパスをだす。空間を引っ張る。空間を飛ばす。それを受け止める。視線を受け止める。記憶に残す。万国旗。
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