2011年10月6日木曜日

1006 コンペ

文章にしてみるって自分の考えを自分で客観的に見れるので、自分の考えを良くしたいときには優れていると感じた。

書いてみると語彙力のなさや説明力のなさもダイレクトに露呈する。

まあそれは置いといて。

つらつらと書き綴るこの作業からヒントを見いだそうと思う。

コンペを出そうと思う。
キルコス、景観開花、長谷工。


景観開花「未来へつなぐ街路デザイン」
秘められた街路の可能性

これはもっと歩き回らないと分からない気がする。

キルコス「変わること/変わらないこと」

真っ先に思いついたのは実家のことだ。震災によって様々なものごとが変わってしまった。しかし実家は物理的にも雰囲気的にも以前と変わっていなかった。不幸な「変わること」のなかでとても幸せな「変わらないこと」であった。

「変わること」は不安定であり安心できないことである。「変わらないこと」は安定であり安心できることである。

では「変わること」が安心であることはあるのだろうか。変わることは今までの状態ではなくなることであり人の成長を促す。
「変わること」を安心できることにするための方法として「知ること」があると思う。つまり予習。しかしほとんどのことは予想などできない。「想定外」という言葉が流行したように。

最近ぼくが「変わること」に臨むとき、ひとつヒントにしているものがある。それは「支えてくれている人への思い」である。これを豊かに持ち続ける人がばく進するのだと思う。

課題をもういちどみてみよう。

「変わること/変わらないこと」(some things never change/いくつかのものは変わらない)

単純にこの文を読むと「変わらないこと」を肯定しているようにも聞こえる。いつまでも残り続ける良さ。変わるものの中で変わらない良さをさしているように聞こえる。

周辺環境は常に変化する。流行、時間、活動、加齢、四季。

変わらないことを肯定している例としてよく聞く言葉がいくつかある。
「流行にながされない」「継続は力なり」「イチローは毎日同じことを繰り返しているのに前進している」「いくつになってもこどもねえ」「いつまでも若いねえ」「一途」「石の上にも三年」「ふるさとのにおい」「実家のあたたかさ」「創業100年の味」「秘伝のたれ」「美術作品」

これらは「変わらないことが加算的に積み上げられ変わっていくもの」「良い変わらないことが保存されているもの」「変わっていくはずなのに変わらないもの」「普段の変わっていく世界の中で安心できる場として変わらないもの」などに分類される。

さて

「変わること/変わらないこと」(some things never change/いくつかのものは変わらない)
である。

英語を読まなければ「変わらないこと」が肯定されているとは限らない。むしろ英語の方も僕のとらえかたの問題かもしれない。
では「変わること」を肯定的にとらえてみよう。

先ほども述べたように世界は変わり続ける。それは時間が流れる限り、その流れに乗って変化するのである。

人間は動物である。まず物理的に動く。一瞬として同じポーズをとってはいない。つまり変わり続けているのである。
「変わること」。変身。「変わった!」=ポジティブ。「変わった...」=ネガティブ。
ふつう進歩したり改良されたりすることは「変わること」なのでいくらでも肯定的にとらえることができる。
そうすると「変わらないこと」を肯定的にするほうが難しい問題のように思える。


ここまできたら考えてみよう

「変わること」と「変わらないこと」を等価にとらえた場合だ。

これは難しい。「?」が浮かぶ。
つまり変わっても変わらなくてもよいということだろうか。
つまりどうでもいい(ややネガティブよりにとらえた場合)。

サッカーJリーグの残留争い。気になる選手がいなければどのチームが落ちてもよい。その落ちるチームが最終節で変わったとしてもやはりそのチームに気になる選手がいなければ落ちても良い。つまり変わっても変わらなくても良い。

分かりづらい。

例えばこれはどうか。明日は大学の期末テスト。でも全然勉強していない。テスト当日どうやら今年は傾向が変わったようだ。だが勉強していない僕には何の影響もない。「変わること」と「変わらないこと」に価値の差がない。

これはポジティブにも考えられる。
テストの分野を完璧に理解していたら、傾向が変わろうが必ず解ける。これもまた「変わること」と「変わらないこと」が等価である。

なにかずれている気がする。やはり「変わること」と「変わらないこと」は等価になり得ないのではないだろうか。ある人にとって彼に関する様々な事象は「変わること」か「変わらないこと」のどちらかに必ず重きがくるのではないだろうか。

いったんコンペの本旨にたちかえろう。
おそらく「変わること/変わらないこと」の捉え方はどのように設定してもよく、それをコンペという場で「提案するもの」にするということが重要で難しいのではないだろうか。

たしかに実家の「変わらないこと」の良さはある。ではそれをコンペという場でどのようにプレゼンするか。その変わっていくものの中で「変わらないこと」の安心感をダイアグラム化し、それを別の場所に適応するのだろうか。
「変わっていく世界」を何か想定し、その中に安心できる「変わらないこと」を挿入するのだろうか。これが一番オーソドックスだろう。

長くなってしまったので一度一息つきます。

ふぅ。




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