2011年10月30日日曜日

「公私」と「公=公共=私」

斉藤は「公共」が一般に「国家」が独占するようなイメージを払拭すべきであるとし、また山脇は「公私」二元論からの脱却を唱えている。すなわち、山脇は「政府の公/民の公共/私的領域」を相関関係にあるものとしてとらえ、「滅私奉公」ではなく「活私開公」という理念を打ち出している。この概念は法哲学者の桂木隆夫もその著作中で肯定的に紹介している(『公共哲学とはなんだろう』勁草書房)。

公共性


公共性とは、公共の持つ性質のこと。論者によって様々な分類がされている。
例えば、斉藤純一『公共性』(岩波書店)は、公共性をofficial, common, openの3つの意味に分けている。

official(公務員が行う活動が帯びるべき性質) [編集]

国家や地方自治体が法や政策などに基づいておこなう活動。
例:公共事業・公共投資・公的資金の投入・公教育・公安の維持。
 対比されるもの:私人の営利活動。

common(参加者、構成員が共有する利害が帯びる性質) [編集]

共通の利益(公共の福祉)の追求・共有財産(公共財)の維持管理・共有する規範(常識)の創出・共通の関心事(ニュース)などの伝播。
例:公益・公共の秩序・公共心・世間(せけん)。
 対比されるもの:私有権・私利私欲・私心。

open(公共的なものが担保しなくてはいけない性質) [編集]

誰もがアクセスすることを拒まれない空間や情報。
例:情報公開・公園等の公的空間。
 対比されるもの:秘密やプライヴァシー・私的空間。
この考え方は、山脇直司『公共哲学とは何か』(ちくま新書)での公共性の3つの意味(①一般の人々にかかわる② 公開の③政府や国の)とも共通する。
  • 日本ではあまり議論されないunofficial(民間レベルの公共的なもの)という概念も存在し、町内会・自治会・NPO・慈善団体・ボランティアサークルなどがその例に当たるが、上記の分類に従えばほぼcommonに該当すると考えられる。



公共に住むということ

豊かであるということは公共であること

「公共に住む」を「公共に食べる」「公共に寝る」「公共に休む」に分解して考える

1 公共に食べる
公共に食べることとは食堂のような状態をつくり出すことである。キッチンは何個だろうか。当番制だろうか。残り物をテーブルに置いておくことで、他の人へお裾分けする。

2 公共に寝る
公共に寝るとはどういうことだろうか。就寝時間は人それぞれで配慮しなくてはならないがそれを配慮しなくてもよいとも考えられる。また眠ると人間は無防備になるので何かしら最低限の間仕切りは必要であるだろう。さして避難所くらいか。断面方向に伸ばすか。とりあえず周りの人たちの雰囲気で起きるといった関係が良いだろう。

3 公共に休む
この休む、一人のための空間を担保し、それに対して一つ一つ空間を用意して挙げたのが近代である。そうであれば、避難所、街中のカフェでみられるように個人の、休む空間を選択し、移動すれば良い。



またこのようにすると合理化されるので空きスペースをフリースペースとする

公共


公共とは社会全体に関すること[1]を取り扱う上において利用される用語であるが必ずしも抽象・理念的なものではなく、「私」や「個」と相互補完的な概念である。例えば、村に一つの井戸を村人総出で掘って共同利用することは、きわめて公共性の高い活動であり、結果として、個人にも私人[2]にも恩恵をもたらす。ある種の協働や個人的なおこないが不特定多数の他人に、結果として広く利益をもたらすような状況はしばしば観察され、それらの類型がしばしば「公益」「公共行為」と見なされる。
しかし井戸の例では、井戸を掘ることが個人で井戸を私有することを否定するわけではない。個人私有よりも共同所有の方が合理的であるという個々人の合意が形成された場合に、はじめて共同井戸が成立する。
「公共」の立場からは、「私」や「個」の利益を追求したとしても、全体の利益を考えた方が結局は合理的であるという結論にたどり着くという場合「公共」が成立するのであり、最初から全体の利益を優先して、個人や私人を意図的に信頼・重視しない全体主義とは異なる


wikiより


隈さんのいう白い箱とは物理的な箱というよりは個人、私的な箱という意味ではないだろうか。
現代の集合住宅は箱が並んでいる。つまり個個個個個個個みたいな感じである。決して閉じた箱が並んでいるというわけではない。そしてそこにネットワークは存在しない。
現代の学生のほとんどは隣の家に誰が住んでいるかなど知らない。

仮設住宅にも同じことが言える。特に漁村という強いコミュニティがバラバラになっていくことや、小学校の同級生と離れるなどがそれである。

現代の集合住宅の果たすべき役割について問い直す。
避難所では皆が助け合い、それぞれが場所を選択し、生き生きと活動していた。
集合住宅の理想ではないのか?

日本人は近代化と共に空間のヒエラルキーをつくり出し、ついにはマイホーム文化までつくり出してしまった。内に内に向かっていく日本人がコミュニケーション能力において海外諸国に劣るのはこの点が原因ではないか。

そこで近代の象徴、個に向かうヒエラルキーを排除する。
公共化する集合住宅は全体として安全、安心、にぎやかさを獲得し、集合住宅の役割は都市において、受け皿となり、活気を生み出す、人間の生活を基盤とした都市像をつくり出す。

2011年10月22日土曜日

自己

最近の夜はいつも気持ちが不安定だ。

そんなことどうでもいいんだが。

だれかに必要とされる人間。愛される人間になりたいとふと思った。


風邪を引いた。

誰にも影響がない。誰も自分を気に留めない。

簡単な反応はわずかながらあったが結構寂しい。

自分はどうだろうか。

誰かが風邪を引き、自分に何の影響もなければ気に留めないのか。

そんな人間になってはいけないな。少なくとも嫌な思いをするのは自分だけにしよう。

人の幸福を願い、人の不幸を悲しむ

そんな人間になりたいと思った。

2011年10月13日木曜日

第1回「300人のための集合住宅」

集合住宅には都市の環境を享受しつつ、戸建て住宅にはない集まって住む楽しさがあるはずです.ル・コルビュジエは人間らしい生活を獲得するために、高層に集約し、地上に空地を確保して「300万人のための現代都市」(1922)を構想しました.そこで今、集まって住む、新しい集合住宅を構想してもらいたいと思います.条件は、日本で現実に集合住宅がつくられる密度です.300人のための集合住宅.敷地は東京に想定します.今までの常識だけに囚われることなく、規模や密度が生み出す新しい集合住宅を考えてください.オスマンによるパリの街区や、高密度の香港の街並みなど、集合住宅は都市を構成する重要な要素です.かたちは違いますが日本の、現代の都市の姿もその多くは集合住宅により描かれています.そうした都市への提案の可能性もある、新しい集合住宅を考えてください.

[審査講評]

隈さん

アイデアコンペの審査をしていると,主催者側の意図と応募案の内容が伴わないこともままあるのだが,今回のコンペは集合住宅という難しいテーマにも関わらず,全体のレベルは高いものだった.
集合住宅の設計には,一見矛盾するふたつの大きな課題がある.それは,
集合するということと家であるということをどう表現するかである.今回のコンペは,全体の傾向として「家でありたい」「戸建て住宅でありたい」という願望が強いように感じられた家が持つ独特の繊細さやかわいらしさといったものを300戸の中に保ちたいという気持ちが,どの案にもありありと出ていた.それは日本の若い人たちに顕著な傾向だと思う.普通にこの課題を解こうとすると,スラブを重ねて家を並べるという案になる.実際そういう案は多かったが,上位には残らなかった.家的なものを残した案は佳作の横山・中辻案(四畳半×300)である.この案は,四畳半にすれば平屋でも300戸が敷地に入ることを教えてくれた.また,集合住宅を設計していると,プランニングの問題ばかりを解こうとなりがちだが,実は表層があり,その表層に人間の個別性が表れるかもしれない.そのことをHernan・浅見案(都市の表情に住まう)は改めて教えてくれた.結果としては個別性と集合性の両方の問題をバランスよく解いたものが上位3案になったが,審査員をもっと驚かせる案があってもよかったと思う.

乾さん

このコンペは他にあまり例のないものだと感じた.なぜなら,ある程度の設計の密度が必要とされる集合住宅というプログラムが要求されたために,きちんとした設計コンペの側面を持ちつつも,アイデアコンペ的な側面も併せ持っていたからだ.そのためか,他のコンペではあまり見られない密度の高いアイデアが出てきたという印象だった.そうした作品群の中では,抽象的なイメージを持ちつつ,同時に,具体的な問題を解いている案がとても魅力的に見えた.中でも最優秀賞の高池・湯浅案(300人のランドスケープ)は特に鮮やかなものであった.300人という人間の多さを1.5kmという長さに置き換えて抽象化しながら,人が行動する時にその長さをどう感じるかという肉体的な問題へと具象化しており,これらのふたつの傾向が同時に提案可能であることを示していた.優秀賞の岡崎・上杉案(森を回遊する極細集合住宅)は,意図的に敷地を広げて,あえて集合住宅の密度を低くしているのだが,今後の集合住宅の傾向を示唆していると思う.同じく優秀賞の中村・田原案(300人が集まる大きな部屋)は,柱のように林立した集合住宅で全体の大きなボックスを支えるという構成が面白かった.また佳作の伊藤・祢冝・川端案(300人のための集合住宅)も興味深く見させてもらった.造形としては堅いのだが面白い風景になっていると感じた

藤本さん

今回のコンペでは,よい意味で新しい都市の風景,住み方の風景を夢見させてもらった.住むというリアルなことと都市の大きなビジョンが両立している案に共感した.最優秀賞の高池・湯浅案(300人のランドスケープ)は1.5kmという都市的な長さを巻き上げた大胆な案である.スロープの縁側のような部分があまりに均質なのが気になったが,それを含めても力量がある.岡崎・上杉案(森を回遊する極細集合住宅)は緑の中に分け入っていく都市の新たな風景をつくり出している.もっと立体的に,公園の中を通過する動線も兼ねたネットワークになっているとよかっ.大きな囲いの中が,内部のような雰囲気も漂わせつつ外部のようにも見える中村・田原案(300人が集まる大きな部屋)は非常に秀逸だと思ったが,同時にそれが,ただ狭い現代の価値観の中で,疑問を持たないまま成熟したようにも見えて不安でもあった.角野・市川案(猿的密度論)は体験してみたい.密集することで生まれる床スラブの重なりに着目した新しい集合の仕方だと思うし,身体的に楽しそうである.サボテンのような谷脇案(ほそながく,まとまった家)は,ふやけたようにものが密集する仕方とユーモラスな形がよかった.

第2回「30年後の集合住宅」

課題:30年後の集合住宅

建築にとって時間は重要な条件のひとつです。たとえば30年後のことを考えて、現在の集合住宅を設計するというのは、さまざまな状況を想定できる現実的で重要なことだと思います。30年後には住宅ローンを返し終わったり、子どもが巣立ったり、新しく生まれたり、高齢化がもっと進んだりするかもしれません。建物の改修や周辺の変化、地球環境や社会の変化もあるかもしれません。30年後にその集合住宅でどんなことが起こっているのかを想定して、現在の姿を提案してください。集合住宅を通して都市や周囲の環境、そこでの生活なども描けるかもしれません。そうした変化を想定しながら、楽しく住み続ける集合住宅のあり方を考えてください。
敷地は東京の運河沿い、現実に集合住宅建設が盛んな場所を想定します。既成概念にとらわれず、しかしリアリティのある新しい集合住宅を考えてください。
[審査講評]
隈さん

30年後,集合住宅はプライベートな空間を積層させただけのものではなく,何かを共有する場であるという前提で考えられた案が多かった.大きなテーブルをシェアしたり,固有の風景を共有することで共同体的な意識を生み出すといった案が印象に残った.また,プライベートなセルと開かれたパブリック空間のふたつで集合住宅を再定義しようとする傾向が強かったが,パブリックをどう定義するかを曖昧なままにしていた案が多かった.そこをはっきり定義させた案が最終的に勝ち残ったと思う.
最優秀賞「小さな都市,大きな家族」はバスケットコートや子どものためのスペースなど,都市において社会的な意義を持つパブリック空間を巧みに配置している.現在でも,30年後でも通用する場を,空間的にもはっきりと定義しているところが興味深い.プライベートとパブリックの関係性にもリアリティを感じる.
優秀賞「庭と部屋の塔」は単なるバルコニーではない空中庭園を全戸が持っている20世紀的な超高層ではなく,21世紀的な「庭園型超高層」とも言えるモデルによって,環境問題に対する新しい視点を提示している.環境に対する提案の中ではこの案が最も明るい未来を描いていたように思う.優秀賞「∞familyのための集合住宅」は個室の関係性の選択によってどんな家族でも住み得るというような,家族関係にまで踏み込んでいる点が興味深かった
また建築を植物や大地のようなものに還元していく提案も多くあった.それらのうち,入選したのはいずれも建築と自然や植物が融合することで生まれる不思議な姿をクリアに表現したものである.

乾さん

30年という時間軸を踏まえた時に,集合住宅がどのように変容するのかをクリアに表現できている案が上位に残ったように思う.応募案の傾向のひとつに,集合住宅が「住む」という単一の機能を超えて,都市的,複合的にならざるを得ないという前提で考えているものが多く見られた.これはル・コルビュジエの「ユニテ・ダビタシオン」のように以前からある考え方ではあるが,上位に残った案は,いかにユニテ型ではない方向で建築化していくかを考えているものである.最優秀賞「小さな都市,大きな家族」はユニテのように機能を断面的に積層させるのではなく,平面的に展開している.これによってパブリックとプライベートが空間的に関係を持たざるを得ない状況をつくり出し,住環境そのものを変容させることを試みている.明快かつ居住空間の変容ぶりも鮮やかで,楽しさを感じる提案である.
集合住宅がスラブを人工的に積層させたものであるという前提に立つならば,優秀賞「庭と部屋の塔」の積層させること自体には新しさは感じられない.しかし,この案の特徴は疎な大地を塔状に積層させたところにある.ポエティックではあるが,30年の間にその平面がどのように変化するのか,リアリティを持って表現している点が評価できる.
もうひとつの傾向として,集合住宅の共用空間は今後大きくなっていくという前提で考えている案が多く見られた.優秀賞「∞familyのための集合住宅」もそのひとつである.平面を見るとパブリック空間とプライベート空間を市松模様のようにシステマティックに配置している.それぞれ特定の機能を示唆しないことによって,30年後,どのように使われているのか,こちらの想像をかき立てるスマートな提案であった.

藤本さん

前回,今回と審査を通して,改めて集合住宅の設計は難しいという印象を受けた.人が集まって住むことで,都市的な活動も生まれるし,もちろんプライベートな活動も営まれる
今回の提案には,さまざまなものが30年の間に変わっていく状況の中で,変わらない部分をどうデザインしていくのかという視点に立った提案が多かったように思う.僕は変わらない部分が今の建築を超えている提案や,佳作「ヤマ・タニ・オカ」のように,変わらない部分がまるで地球の一部になってしまっているような提案に興味を持ったそのような案が建築の可能性を少しでも広げていくのではないかと考えている.最優秀賞「小さな都市,大きな家族」は通常住居にはないような大きなスペースをつくり,住宅という機能から離れた大きな空間を内包している.住む場所は人間に合ったスケールだが,大きな空間は30年先まで考えるとさまざまな使い方を予感させる.それをスマートに空間に落とし込んでいる.しかし一方で,僕らが知っている建築からどれだけ飛躍できているのか,まだその範囲に納まっているのではないかという印象も残った.もっと過激であってよいと思う.
全体に,インフラなどの変わらない部分と変わる部分を分けて骨格をつくっていく案が多かった中,優秀賞「庭と部屋の塔」は塔状の山とも言えるような自然環境が建ち上がって,そこに人間が住み着いていくというストーリーが興味深い.ただ,こちらも最優秀案と同様にスケールの設定が既存の住宅のレベルに納まっている部分があり,もっとダイナミックな提案ができれば都市の風景の変化に繋がっていくのかもしれない.
今年は30年という時間軸も設定されたので,さらに複雑性は増して,難しいけれど面白い課題になった.

第3回「30戸の住宅から生まれ変わる集合住宅」

集合住宅をつくることにより、敷地の中だけではなく、もう少し広い範囲での関係や影響が生じると思います。それを繋げていくことで、単体の建築ではなし得ない、居住環境を提案できるかもしれません。たとえば更地からスタートするのではなく、都心の住宅密集地で30戸分の住宅を建て替えることによって集合住宅をつくること。あくまでも建て替えであることを前提として、既存環境とも連携した新たな集合住宅を考えてください。この提案を通して、集合住宅が町並みやコミュニティへと繋がる方法を考えるだけでなく、さまざまな形態による家族の新しい暮らし方など、これからの都市や社会の重要なテーマも考えることができるのではないかと思います。もしかしたら、新たな集合住宅と既存環境との関係を考えることによって、環境と人の生活を連続させ、また、暮らしそのものが環境をつくってしまうような、周囲も巻き込んだ建築を生み出せるかもしれません。既存の30戸の住宅は自由に想定してください。また、新しい集合住宅の住戸数は自由とします。建築のリアリティに配慮しつつも、既存の街や外部ともさまざまな関係性の持てる、集合住宅ならではの可能性を考えてください。


[審査講評]


隈さん


既存の30戸が低層型のものだったため,その中でいったい何が集合性か,集まって住むことの意味とは何かを考え,答えを出した人が最終的には上位に入ったと思う.
最優秀賞「やねの森 roof forest」は屋根がつくり出す新しい集合性を示していた.以前からあったような屋根ではなく,新しい屋根のあり方を示唆しており,刺激的な案だった.半屋外空間が屋根の下にたくさん生まれ,それが重なり合いながら低層住宅の新しいタイプをつくっていた.
高さに対しては分かりやすい抵抗をしていた案が多かった中で,優秀賞「Above Us ー大きな広がりとともにある集合住宅ー」と「50%建築」はそれぞれ
ある程度の高さを持っていながら,抜けのよい快適な空間をつくっていた.これは世の中の高さ批判に対する,建築家サイドからのひとつの回答と言えるだろう.どちらも勇気のある回答だった.
少し残念なのは,
既存のものを残しながら,それを新しいものと組み合わせる提案がもっと見たかった.全体的に現状のものに対する観察が足りなかったように思う.

乾さん

課題となった敷地に対して30戸というのはかなり低密度であり,それを利用して面白いものをつくろうという案が多かった.その中で,低密度でありながら,それを周辺環境とどう繋げていくか回答しているものが最後まで残った.
最優秀賞「やねの森 roof forest」は周辺環境と連続させるために屋根を有効に使っていた.
屋根とボリュームの関係を従来のプロポーションから変形させ,異常に大きくなった屋根の下に公共的なスペースをつくる提案だった.風景としてすぐれていることに加え,公共スペースを周辺の商店街などに繋げて,うまく周辺の環境に応えていた.
優秀賞「Above Us ー大きな広がりとともにある集合住宅ー」は
屋根と地形の風景が近いのではないかという仮説を前提にした提案だった.屋根の風景がうまく神社に接続していくのではないかと思わせる説得力があったし,グラフィック的にも非常に魅力的だった
優秀賞「50%建築」では
建ぺい率のあり方を平面的にではなく,立面的に利用することで高層化しようという案だった.低層の案が多い中,数少ない高層の提案であり,開口を大きく取るなど,快適さに対する配慮もあった.
既存建築の外壁だけ残して中身を取り払い,そこにガラスの箱を入れて半公共的空間をつくる佳作「野生の住宅群」も,周辺環境との繋がりという点でリアリティがあるアイデアだった.

藤本さん

昨年までは規模が大きかったので,条件と格闘するのが大変そうだったが,今回は比較的取り組みやすい規模で,周辺の条件も出ていたため,それらの条件を飲み込んだ上で,若々しい建築的な提案をしていこうというエネルギーが感じられた.
一方で,
低密度という条件に逃げ込み,集まって住むということを深く考えきれていないものもあった低密度だからこそ,もう一度集まって住むことや都市のことなどを考え直すよい機会だったが,一発のアイデアに頼った案も見られた.
その中で,最優秀賞と優秀賞の3つは別格でよい案だった.最優秀賞「やねの森 roof forest」は
屋根の上に屋根が重なる風景が危うくも見えたが,都市に住むための住居の提案であると同時に,今まで見たことのない巨大な公共空間,都市空間が見えていた.これは新しい発見がなされていると感じた.巨大ではあるが茫漠としているわけではなく,さまざまな場がつくられており,それらが一体的に解決された提案であったと思う.
優秀賞「Above Us ー大きな広がりとともにある集合住宅ー」も印象的な提案だったが,割り切りが良すぎるのではないかと思った.
街の風景などもっといろいろな条件を飲み込んで,案を成長させる余地があったように思う.もう少し突き抜けてほしかった.
優秀賞「50%建築」は既存の住宅地が持っていた
抜けのスケール感を1回再構築するという知的で鮮やかな提案だったが,最優秀賞と比べるときれいに完結している感じがした.

第4回「10の違うものが集まる100戸の集合住宅」


10の違うものが集まる100戸の集合住宅

環境問題も建築の重要な要素になってきた昨今、持続可能な建築の必要性も認められ、そのためのさまざまな技術(長期優良住宅、スケルトンインフィル、環境配慮)も進化してきました。しかし、建築の持続可能性が実現されると、そこでの将来にわたる暮らしはどのようになるのでしょうか。それを考えるには、いろんなものが混じり合いながら、周囲や環境と関係を持ち、公共性があり地域に密着した、使い勝手を考えたものがヒントになるのかもしれません。そこで、10の違うものが集まる集合住宅を考えてください。多様な他者を受け入れ、関係をつくり出すことで、今の社会問題も引き受けた、将来の変化もふまえた生活が描けると思います。
10のどんなものが集まるのかは、自由に想定してください。10の機能を考えるだけではなく、年齢の違いや、身の回りのものを10集めることからも新しい関係がつくれるかもしれません。ただし、集合住宅であること、また内部環境も考えられていることは条件です。建築や社会のリアリティをふまえ、かつ自由な新しい提案をしてください。
[ 審査講評 ]
隈さん
集合住宅を人間とモノとの付き合いから再定義するかなり難易度の高い課題だった.集合住宅にはさまざまな側面があって,人間関係からもアプローチできるし,周囲との関係からもアプローチできる.そこで,実際人間とモノがどう付き合うか,その場がどうなっているかに注目してほしいと思ったが,応募案は意外に人間とモノとの関係がさっぱりしていた.人間とモノとの関係を抽象化したり個別化したりして,モノが消えている案が多かった.その中で濃密にモノが立ち上がってくるものが最終的に上位にきた.
「10 GROUNDSー大地の上で鼓動する建築・植物・街の活動ー」は大地というモノの中でもいちばん濃密で人間の身体と関係の深いものに焦点を当てていた.その着眼点や,大地というものの中に具体的に建築を組み込んでいく迫力を評価した.
「“とある”家族の10世代の記憶」は結局最後には人間は死ぬということをテーマに集合住宅を考えていた.普通,自分はこれが好きだとか,こういうものと暮らしたいとか,生きていることを中心に考えるが,この案では生と死という集合住宅では忘れられがちなことにぐっと迫っていた.一見するとただの塔状の集合住宅の中に時間が積層しており,空間の中に時間の概念を入れたこともおもしろかった.
設計にはいろいろな切り口がある.これからも単一の切り口ではなく,複眼的な切り口で考えてほしいと思う.
乾さん
今回の課題は建物が持続可能になり,長く使うようになった時に,どうやって将来的な変化に耐えられるようになるかということを問う大きなテーマだったと思う.
「10 GROUNDSー大地の上で鼓動する建築・植物・街の活動ー」については,建築やそこで行われる活動に新たな関係が生み出されるきっかけとして地面が扱われているところに魅力を感じた.
「のうぎょう×」は,10の違うものの次元がめちゃくちゃに錯綜しているのがおもしろいと思った.応募案を見ていると,10の違いが本来的な違いというよりバリエーションの違いに収まってしまい,こぢんまりとしている案が多い中で,この案はわざと次元の違うものを集めてきており,「違い」の意味をより深く考えていることを感じさせる案だった.
違いをバリエーションに還元させ,それを建築のデザインに落とし込む提案はたくさんあったが,「“とある”家族の10世代の記憶」はその中でもいちばんよかった.「世代」という比較的重いテーマを扱うことで,バリエーションのおもしろみを引き出している提案だった.
また,あまり都市的な視点からの提案がない中で「10の解像度をもつ集合住宅」は最も都市的な視点から集合住宅を捉えようとしており,ユニークで優れた提案だった.
藤本さん
「10の違うもの」という課題は,いったい何を持ってきて,どこからスタートすればよいか考えなくてはならない高度な課題だったと思う.
地面に着目した「10 GROUNDSー大地の上で鼓動する建築・植物・街の活動ー」はすごく本質的な提案だと思った.どこにでも地面はあるが,どう仕上げられているか,あるいはどういうテクスチャーを持っているか,本当はもっと豊かなはずなのに,現代の街の中では意外と単調になっている.そこに着目してもう一度都市の中に人間のための場所をつくっていた.
「浸透する都市〜moiré habitat〜」は大きなスケールから小さなスケールまで,スケールのグラデーションを使うことで都市とわれわれ日常の生活を結び付けようという提案だった.着想としてはおもしろかったが,並べ方,グラデーションのつくり方が乱暴だと感じた.もっと周辺環境の状況を考えることで,都市がそのままにじみ出たような場所ができるかもしれないと思った.
今回は10の違うものをどう設定するかが大きなポイントだった.いろいろな視点があったが,それをいかに建築や都市の,そして現実に移し替えていくか,そこに対する突っ込みが甘かった.実はそこが建築のいちばんおもしろいところ.勇気を持って現実の建築に立ち向かってほしいと思った.

2011年10月6日木曜日

長谷工コンペ

「再び『集まって住むこと』の豊かさ」

以下、テーマ座談会の気になる言葉の抜粋

「応募案を見ることで『あのコンペ』と思い浮かぶくらい印象的な応募案をみたい」
→象徴性。モニュメント性。斬新さ。風景となる。

「コミュニティと省エネへの意識の高まりが顕著に見られました」
→コミュニティは震災時、近所という物理的に直接コミュニケーションできる人々とのコミュニティが重要になる。省エネはエネルギーには限りがあることが再認識されたことをあらわす。

「生活者の意識の変化を捉えた、これからの集合住宅のあり方をテーマに盛り込めればと考えています」
→「生活者の意識の変化」は最も重要なキーワードの1つ

「コミュニティとはソフトとしてのネットワークであり最も身近なセキュリティ」


「20世紀型の集合住宅では資産価値が重視され、それを保証することがセキュリティだと捉えられていましたが、災害時は機能しませんでした」
→非経済主義。「価値」の問い直し

「近くに住むおばあちゃんや、なにかあったときに助けてくれるおじさんがいることがセキュリティ」
→ソフトなネットワークとしてのせきゅり

「サステナブル」
「サステナブルというのはエネルギーの問題ではなく、それまでにあった社会的な仕組みとセットで考えるべきもの」
→持続可能性。社会的な仕組みとセット、つまり既存の仕組みに付加する形で持続可能性を
実現する。


「重要なのは運用の場面で、人間がエネルギー問題を補う仕組みをつくること」


「コミュニティをもう一度構築するというもの」


「人のネットワークを構築することで補えれば、本当の意味での持続可能性がでてくるのではないか」
→重要

「集まって何かを共有している状態に新たな価値を見いだせる時期」
→重要

「ただ集まるのではなく、集まって共有しているものは何かを考える」


「震災以降、豊かさの価値観が変わり、新しい価値観を獲得できるのではないか」
→最重要

「まちづくりがいかに重要か」
→「まちづくりもキーワード」

「まちづくりのことを、さまざまなプレーヤーの行動と時間帯のことが気になる」
「設計やデザインが何かできるというメッセージを伝えたい」
「デザインをする、建築を計画する、つまり線を引く行為には可能性が残されている」
「非常用飲料水供給システムや非常用マンホールトイレを備え、それを居住者以外の地域住民の役に立つなど、震災を機に新たな豊かさを見出せるのではないか」
「本当の豊かさを再考すること」
「何か私たちが参考にできるアイデアがたくさん出てくるのではないかと思っており期待が大きい」
「『豊かさ』を今の学生がどう翻訳するのかに興味があります」
「その紋切り型の答えを乗り越えた豊かさが提案されるのではないかという期待があります」
「今だからこそ新鮮に受けとってもらえるのではないでしょうか」
「再び『集まって住むこと』の豊かさ」
「変わること」も「変わらないこと」もどちらもないという考え方もあるのかもしれない。

1006 コンペ

文章にしてみるって自分の考えを自分で客観的に見れるので、自分の考えを良くしたいときには優れていると感じた。

書いてみると語彙力のなさや説明力のなさもダイレクトに露呈する。

まあそれは置いといて。

つらつらと書き綴るこの作業からヒントを見いだそうと思う。

コンペを出そうと思う。
キルコス、景観開花、長谷工。


景観開花「未来へつなぐ街路デザイン」
秘められた街路の可能性

これはもっと歩き回らないと分からない気がする。

キルコス「変わること/変わらないこと」

真っ先に思いついたのは実家のことだ。震災によって様々なものごとが変わってしまった。しかし実家は物理的にも雰囲気的にも以前と変わっていなかった。不幸な「変わること」のなかでとても幸せな「変わらないこと」であった。

「変わること」は不安定であり安心できないことである。「変わらないこと」は安定であり安心できることである。

では「変わること」が安心であることはあるのだろうか。変わることは今までの状態ではなくなることであり人の成長を促す。
「変わること」を安心できることにするための方法として「知ること」があると思う。つまり予習。しかしほとんどのことは予想などできない。「想定外」という言葉が流行したように。

最近ぼくが「変わること」に臨むとき、ひとつヒントにしているものがある。それは「支えてくれている人への思い」である。これを豊かに持ち続ける人がばく進するのだと思う。

課題をもういちどみてみよう。

「変わること/変わらないこと」(some things never change/いくつかのものは変わらない)

単純にこの文を読むと「変わらないこと」を肯定しているようにも聞こえる。いつまでも残り続ける良さ。変わるものの中で変わらない良さをさしているように聞こえる。

周辺環境は常に変化する。流行、時間、活動、加齢、四季。

変わらないことを肯定している例としてよく聞く言葉がいくつかある。
「流行にながされない」「継続は力なり」「イチローは毎日同じことを繰り返しているのに前進している」「いくつになってもこどもねえ」「いつまでも若いねえ」「一途」「石の上にも三年」「ふるさとのにおい」「実家のあたたかさ」「創業100年の味」「秘伝のたれ」「美術作品」

これらは「変わらないことが加算的に積み上げられ変わっていくもの」「良い変わらないことが保存されているもの」「変わっていくはずなのに変わらないもの」「普段の変わっていく世界の中で安心できる場として変わらないもの」などに分類される。

さて

「変わること/変わらないこと」(some things never change/いくつかのものは変わらない)
である。

英語を読まなければ「変わらないこと」が肯定されているとは限らない。むしろ英語の方も僕のとらえかたの問題かもしれない。
では「変わること」を肯定的にとらえてみよう。

先ほども述べたように世界は変わり続ける。それは時間が流れる限り、その流れに乗って変化するのである。

人間は動物である。まず物理的に動く。一瞬として同じポーズをとってはいない。つまり変わり続けているのである。
「変わること」。変身。「変わった!」=ポジティブ。「変わった...」=ネガティブ。
ふつう進歩したり改良されたりすることは「変わること」なのでいくらでも肯定的にとらえることができる。
そうすると「変わらないこと」を肯定的にするほうが難しい問題のように思える。


ここまできたら考えてみよう

「変わること」と「変わらないこと」を等価にとらえた場合だ。

これは難しい。「?」が浮かぶ。
つまり変わっても変わらなくてもよいということだろうか。
つまりどうでもいい(ややネガティブよりにとらえた場合)。

サッカーJリーグの残留争い。気になる選手がいなければどのチームが落ちてもよい。その落ちるチームが最終節で変わったとしてもやはりそのチームに気になる選手がいなければ落ちても良い。つまり変わっても変わらなくても良い。

分かりづらい。

例えばこれはどうか。明日は大学の期末テスト。でも全然勉強していない。テスト当日どうやら今年は傾向が変わったようだ。だが勉強していない僕には何の影響もない。「変わること」と「変わらないこと」に価値の差がない。

これはポジティブにも考えられる。
テストの分野を完璧に理解していたら、傾向が変わろうが必ず解ける。これもまた「変わること」と「変わらないこと」が等価である。

なにかずれている気がする。やはり「変わること」と「変わらないこと」は等価になり得ないのではないだろうか。ある人にとって彼に関する様々な事象は「変わること」か「変わらないこと」のどちらかに必ず重きがくるのではないだろうか。

いったんコンペの本旨にたちかえろう。
おそらく「変わること/変わらないこと」の捉え方はどのように設定してもよく、それをコンペという場で「提案するもの」にするということが重要で難しいのではないだろうか。

たしかに実家の「変わらないこと」の良さはある。ではそれをコンペという場でどのようにプレゼンするか。その変わっていくものの中で「変わらないこと」の安心感をダイアグラム化し、それを別の場所に適応するのだろうか。
「変わっていく世界」を何か想定し、その中に安心できる「変わらないこと」を挿入するのだろうか。これが一番オーソドックスだろう。

長くなってしまったので一度一息つきます。

ふぅ。




2011年10月4日火曜日

つづき

コミュニティデザイン。山崎さんが言っていた。
いくら素晴らしいデザインであるアクティビティをアフォードしていても、そこ知らなければ、誰かが呼びかけなければ使われない。メディア、コミュニケーションの重要性。

もう一つ。real&unreal。
これは僕が香港のWS でテーマにした問題である。現実と非現実。実像と虚像。これは今回の震災と密接に関係している。それは地震、津波、原発問題というSF的世界や被災地とその周辺の地域との地理的ギャップや震災への関わり方の違いによる立場的ギャップ、身の回りの超具体的影響、いつくるか分からない地震、放射能などの見えないもの。

それらの存在よりもその反転や変化が重要であり問題である。ようは非現実が現実に変化してそれが現実となり、それによって非現実に逃避するといったことである。
また非現実と現実が隣接していることも問題である。
震災発生後、大変な事態だというのは周辺環境をみれば一目瞭然であるが友達と一緒にいたことでどこかサバイバルゲームのような感覚を持ってしまったことなどがそれである。

ふぅ

卒業設計

あと54分後にせまったゼミのための卒業設計をどうするかを書きながら考えたいと思います。

とっかかりはとりあえず最近の興味からかな。

心理的自己崩壊、資本主義の崩壊、快適さ、エナジースケープ、自然と呼応した建築、自己崩壊した人たちのための家、雄勝における超具体建築。みえ。


まず心理的自己崩壊した人たちのための家。震災による変化をとらえた建築ともいえる。

安全、安心、快適、人命の感触。

不明な世界への不信感からの自立。自分の身は自分で守る。自給自足、地産地消。
超コミュニティハウス。
超庶民的快適。→家が家である条件。
・家族がいる
・寝る場所があり、布団があり、清潔である
・水が出る。
・電気がつかなくても生活できる
・ダニ、ノミがいない
・食糧がある。調理できる。
・日当りがよい
・電話がなくても外部と接することができる
・命をまもる
・建築は土地から生えてる、土地の記憶。からの安心感
・個室がある。社会性のヒエラルキーをもった空間を有する
・トイレが使える
・自力で安全な場所に逃げられる
・手に入れられる
・現実を受け入れず忘れたようにもとの生活に戻ろうとする、資本主義の世界に戻ろうとする世界への警鐘

あなたはいま311と同じ状況が引き起こされたとき対応できますか?
食糧は?水は?仕事は?逃げる手段は?家は?どこに逃げる?何を守る?優先順位をつけられる?

ハウスメーカーの肯定
価格が安く、そこそこ快適な空間、家族を守れる空間をつくれている
建築家の無能性


一度きります。


次は雄勝における超具体建築について

雄勝の状況はかなり把握している。法的、経済的、政治的な縛りもなんとなく分かる。
卒業設計は通常そのような縛りを捨てて考えるがそこをクリアしつくる。そこでも何が優先なのか、震災によってかわったものを反映する。
海と山が近い、リアス式海岸、清流が多くある。これらを利用して雄勝でしかつくりだせない風景をつくれないだろうか。

被災地の印象はいつもぼくらが切り落としていたことを含めて考えている。ただそれらを+αで考えているのではなく、相互作用して全く予想できない変化をみせる。そこには快適性、経済性のほかに見栄やコミュニケーションに関することが大きく関わる。建築などの物体は使われなければ何の意味も持たない。建築家と被災地の乖離の根本。

ふぅ。

2011年10月2日日曜日

1002

芸大受かっちゃいました。

正直投げやりにうけて受かってしまったのでとまどう。

受かった後のことを考えていなかった。

芸大の学習環境としての魅力は東北大よりもある。

しかし、学習環境のために4年間すごした土地、友達と別れるのは寂しい。

自分の将来のためとはいえ、それが全てではない。

おそらく東京にいったら仙台に帰りたくてたまらなくなるだろう。

それくらい思い出が詰まっている。もはや第2のふるさとだ。


東京にいったらそれはそれで新鮮な毎日が待っているだろう。戸惑いながらそれを乗り越え成長できるだろう。



安定は安心を生み出し、不安定は成長を促す。
これは人間の宿命で神様が与えた人生の難しさのように思う。

とりあえず寂しい。

毎日毎日、友達や先輩、先生など身の回りの人との時間を大切にしようと思う。

時間の流れは残酷だけど時間の流れを感じながら生きていける生活、毎日が思い出に残るような素晴らしい生活を送っていきたいと思う。