2011年12月21日水曜日

終着駅

この卒制はどのように収束するのだろうか。

前回までの考えでは批評に用いることができるのではないかということであった。Brilliant orangeではオランダのトータルフットボールがその当時のランドスケープデザインやアルド・ファン・アイクなどの建築家の考えと共通点があるということであった。そこで各年代の特徴を表す代表的なプレーを建築にすることで、各サッカー戦術の構築を建築の構築に置き換え、可視化することができるのではないか。その建築化されたサッカーが時代の流行を表現していたら面白いのではないか。ワールドカップ優勝国または準優勝国のベストプレーを建築化すればその当時最強のプレーを建築にできる。そしたら選ぶことに基準が生まれる。70年のブラジル、74年のオランダ、78年のアルゼンチン、82年のブラジル、86年のアルゼンチン、90年の西ドイツ、94年のイタリア、98年のフランス、02年のブラジル、06年のイタリア、10年のスペインである。それか10年ごとか。
とにかく各年代の何らかのプレーを建築化すると違いが可視化されて批評的かもしれない。構築の仕方の批評である。

しかしそれではファンタジスタが建築家であるという最初の設定と少しずれる。各チームには少なからずファンタジスタはいるだろうが、真のファンタジスタといえるのは90年代のバッジョを中心とした選手達だ。そこらへんをどうしようか。また批評になるとやや個人よりも戦術よりの分析になっていく。それはよいのだろうか。
批評がどのような意味を持ってくるのかわからない以上、ファンタジスタというキャッチーなイメージを取り去りたくはない。


何をしたいのか。終着駅はどこなのか。


まずなにをすればよいのか。各年代の魅力的なサッカーはファンタジックだと捉えることもできる。

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