2011年8月31日水曜日

つづき

ようは何がいいたかったかと言うとどうやって建築をつくっていったらよいのだろうかということです。
これからの建築っていったいなんだろうか。
最近の傾向。建築を幅広くとらえている気がします。例えば美術館で言えばアートといったいになった美術館、エコタウンなど。今までの建築の範囲だけでの議論ではなく建築を「地球上で人間がつくり出す最も大きい物体」としたとき様々な視点からみる必要があるということです。でもそれも人間が地球環境に配慮しているという人間至上主義的な考え方によるものだと思います。人間が手にした自由とはいったいなんなのか。人間は宇宙史上どんな存在になっていきたいのか。根本的に問い続けるときりがありません。ということは建築は所詮、妥協とエゴの産物といったところなのだろうか。

とりあえず即日設計でそこまで考えても仕方がないので少しそういうところは忘れようと思います。
昨年の課題はcity commonです。「情報ネットワーク上で構築されたコモンのシステムは人と都市と情報が連携した新しい場を生み出す可能性がある。情報化時代における建築が果たすべき役割とはなにか。市民が記憶とともにし、新たな地域の風景や光景となる建築をデザインしなさい。」

情報化時代。SOHOにみられるように場所性の意義が失われつつあります。インターネットで調べればすべて分かってしまう。たしかにほとんどその通りだと思います。ですが実体や場所が持つ意味がなくなったとは言えません。そこをいかにデザインするか。

体験談から考えてみようと思います。

学生はよく建築をみにいきなさいと言われます。実物をみて空間を体験しないといけないし、行って使ったりしないとディティールが分からないだろうということだと思います。
つまりメディアによる限界を指摘しています。それは情報量の問題でもあるし、何より質感や自分がそこに立ったときの見え方や雰囲気がどうしても写真だと分からないことだと思います。

では人と都市と情報が連携した新しい場とはいったいなんだろうか。

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