2011年8月31日水曜日

建築設計のコンセプト

東北大学の院試が終わりました。筆記は大丈夫だと思いますが設計製図がうまくできなかったのが心配です。とにもかくにも一段落しいろいろあった8月も今日で終わりです。次は芸大の院試、そして卒論??です。芸大は一週間後にポートフォリオ、20日後に試験です。設計製図とポートフォリオが重視される試験のようなので即日設計が苦手な僕にとっては試練です。

東北大学の即日設計は3時間と短く、プログラムもかたいのが特徴です。いかに要求を満たすかが問われます。正直はじめからコンセプト持っていないとあの時間内に面白いものはつくれないと思います。実際それで失敗しました。今回の課題はデイケアとグループホームの複合施設。駐車場は15台。デイケアとグループホームの入り口は別。敷地は地方都市の田園の中ということでコンセプトにできるような条件は少なく、曲線などの崩したプランを後押しするコンセプトは見つけづらかったのが印象です。正直あの時間では要求を満たすことしかできません。

一方、芸大の即日設計ですが7時間、A1の紙、抽象的な課題など要求を満たすだけではなくいかに面白いのをつくれるかが鍵になると思います。

「おもしろいもの」とはなんでしょうか。

建築で「おもしろい」と感じることは人によって様々です。僕が建築を勉強する前は見た目のおもしろさ、素材、色など、時には家具や照明などの建築本体ではない部分におもしろさを感じていたと思います。おそらくこれは一番分かりやすい部分だからでしょう。

ですが建築を学んで行くともっと奥深いところにおもしろさを見つけるようになります。それはたいていコンセプトのおもしろさに当たります。
簡単に言うとコンセプトは建築をつくっていく上でどんなことを考えたかだと思います。コンセプトが面白いと思われる要素のひとつにいかに固定概念を外すかがあると思います。

「そうやったか」と思わせること。そこからの社会性をもった建築に相応しい条件をふまえたプロセス、最終的に出来上がる形態。最近大学にいてみんなが目指しているのはここだと思います。

最終的に出来上がる形態。SDLなんかみているとその他の条件を工夫しようという努力はみられるものの、最後の形態にみんな一番こだわりを持っている気がします。人間の欲望、エゴが必ずそこにはあります。その形態をいかに理論的に成立させるかをいつも考えていますが結局は形態へのエゴを擁護するための調整にすぎません。

レム・コールハースが「錯乱のニューヨーク」でのべた経済からの自動的な建築の生成はその点を指摘しあざ笑っています。建築史を振り返っても装飾と機能(合理的条件)のいたちごっこが繰り返されています。

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