2012年3月9日金曜日

かべ

壁のつくりかたが迂闊だったかもしれない。完全なトレースはサッカーにしかならないし、それを二次的にみることが建築になるしかない。

建築をつくるとは少しのエゴをもつことであるのではないか。

サッカーの壁はたしかにリスキーさを持ち、それを実際のサッカー感覚に忠実につくろうとしたことは評価できる。インフォグラフィクスとして。

そのリスキーさの変換がずっと引っかかっていたのだが客観的にしようとしたが客観的にすればするほどサッカー以外のなにものでもなくなってしまう。

つまり何がいいたいかというと、一様な壁で表現するのでなく、壁のなかでの強弱をつけるべきではないかということだ。ノード、パスといった話だ。

完全なトレース作業に入る前に考えていたことが重要なのではないか。
ルール、サッカーの都市への置き換え、都市のイメージ、意外性の種類とか。

ボールタッチをノードとするとか。パスとか。

新しい設計で都市への置き換えがつかえないかなあ。

ノードやパス、ランドマークなど相手の壁の状態とともにボールの視点から形をつくりだす。

2012年3月1日木曜日

なにをいうか

インフォグラフィクスのような空間。

オフェンスの視点でつくったつもりが実はボールの視点であった。ボールを妨げるために壁は存在し、ボールを導くためにオフェンスはいる。

建築というのは共有でき体験するもの。体験自体がスタティックなものになったのならそれを見る視点が建築である。

オフェンスとディフェンスによって形成された空間を利用するボールの動き。ボールの動きに影響をうける人の動き。その相互的なやり取りを建築とそこを体験する人の関係に落とし込みたい。

そこではつねに動きが空間体験の主体であり、このボールと人の関係は空間の生成プロセスである。空間と人間のやり取り。

今回の設計ではボールの動きによって空間を形成する人の動きをスタティックに建築化し、そこを体験する新たな空間構成因子として人が体験するものを考えた。