2012年8月27日月曜日

ボールが中心3

ボールがディフェンスにとって近いほど巨大ということはないのではないか。
高さは一定であり、遠いディフェンスは距離が離れているから存在感がないのだ。

そうすると2m弱の壁が絡み合うだけでよくなる。うーん。ボールの速度を人間の速度に変換するなら、ボールの大きさも人間のそれに置換しなければならないのではないか。

そうすると怖いくらいに単純で2m弱の一様な壁がそのままあることが純粋な答えか。

あーあ。


ボールが中心2

サッカーの空間を飛び回って体験するのはボールである。自由に多彩な移動をする。そのボールの移動する方向を変化させるものがプレーヤーであり、建築でいう壁である。

今回の提案では、ボールの視点でサッカー空間を表現することで、サッカー空間の建築化を試みる。ボールが空間を移動するように、建築の中を人が移動する。

対戦する2チームはボールを移動させる方向がことなる。よってどちらも壁であるが性質の異なる壁になるのではないだろうか。

壁は厚さと高さの設定が必要である。壁の高さはその巨大さで存在感や空間の圧迫感をつくりだし、壁の厚さは空間に堅く重い緊張感のあるイメージを与え、簡単には破れない。

プレーヤーがボールに対してどんな時に巨大さや存在感を持つか、または堅く重いイメージを与えるだろうか。

ボールとプレーヤーが近いとき、ボールにとってプレーヤーは巨大で、存在感をもつものとなる。ボールとプレーヤーが離れているとき、巨大さや存在感は感じない。壁の高さはプレーヤーとボールの距離だろうか。近いほど大きい。

では壁の厚さはどうだろう。ボールに対するプレーヤーの体勢だろうか。
ボールに対して奪おうと身構えるディフェンスや、ボールを受け入れようとするオフェンスにどんな違いがあるだろう。デイフェンスの隙をみて奪う雰囲気には緊張感が漂う。しかしオフェンスが簡単に破れるものだということでもない。

オフェンスとディフェンスの違いはないのか。プレーヤーがボールに対して、正面を向いているならばボールにとってプレーヤーは簡単に通ることのできない壁となる。
オフェンスをディフェンスの違いはなく、単なる壁として表現されるのか。

ボールをもつ選手はどうだろう。ボールとの距離が最も近く、最も大きくなるのか。

最後にボールの速度による時空の歪みをどうするか。
ボールが移動するスピードに対してプレーヤーが移動する速度は遅い。
プレーヤーが密集し、狭い空間でもボールが早ければパスは通り、遠くのプレーヤーにもパスを通すことができる。

ボールの速さは空間を広くし、近づける。ボールの遅さは空間を狭くし、遠ざける。
この速度と空間の広がりや近さの関係を翻訳し、サッカー空間をゆがめて、人間の体験する建築とする。

サッカー空間をボールの視点で空間化して生まれたものに対して人間はどのようにふるまえばよいか。




2012年8月25日土曜日

ボールが中心

ボールからの距離を壁の厚さまたは高さに反映させれば、ディフェンスかオフェンスかの違いを針金、壁で示す必要がないのではないか。

細いのはボールに近いことを示す。
オフェンスとディフェンスの違いはゴールへ向かう方向である。
ボールの所持者が曖昧なとき、ボールをキープするために、ゴールへの方向は一時きえさり、ボールへの向きだけが残る。

遠いところにいるものはディフェンスでもオフェンスでも大きくなるのか。違いは示せるのか。そもそも違いを示す必要はあるのか。

最寄りの敵よりもボールが近い場合、ボールとの距離を壁の高さとするのか

うーん

2012年3月9日金曜日

かべ

壁のつくりかたが迂闊だったかもしれない。完全なトレースはサッカーにしかならないし、それを二次的にみることが建築になるしかない。

建築をつくるとは少しのエゴをもつことであるのではないか。

サッカーの壁はたしかにリスキーさを持ち、それを実際のサッカー感覚に忠実につくろうとしたことは評価できる。インフォグラフィクスとして。

そのリスキーさの変換がずっと引っかかっていたのだが客観的にしようとしたが客観的にすればするほどサッカー以外のなにものでもなくなってしまう。

つまり何がいいたいかというと、一様な壁で表現するのでなく、壁のなかでの強弱をつけるべきではないかということだ。ノード、パスといった話だ。

完全なトレース作業に入る前に考えていたことが重要なのではないか。
ルール、サッカーの都市への置き換え、都市のイメージ、意外性の種類とか。

ボールタッチをノードとするとか。パスとか。

新しい設計で都市への置き換えがつかえないかなあ。

ノードやパス、ランドマークなど相手の壁の状態とともにボールの視点から形をつくりだす。