2011年11月12日土曜日

都市空間の既存のプレー 2/2

二階建て木造アパート。都市空間から居住空間への変化はこのような住宅の道によって示されるのかもしれない

ときに一階部分をピロティとし都市空間を建築に貫入させ、バッファーをつくり出す

これは住人の車が通るための道

中・大規模な商業ビル一階部分によくある駐車場入り口
地面に貫入していく

アーケード空間に対し、セットバックして店舗との間にバッファー

同じく地下駐

ピロティ 貫通

ピロティ 貫通

ピロティ 貫通

立体駐車場 鏡によって奥行きの錯覚

駐車場

駐車場

商店の入り口とは別に住居の入り口 建物の間を利用

車 貫通

旗竿?

ピロティ 駐車場

屋上駐車場のスロープ

駐車場入り口
ピロティ 貫通


その建物の治療者のためのエントランス 歩行者

地下駐

門?

奥の駐車場への道と歩行者入り口

駐車場から庭へとつながる





旗竿敷地

ピロティ 貫通

エントランス

貫通

一階部分をセットバック

駐車場 貫通

車が通る道 貫通 その中にまた道 奥にも道

エントランス部分とその先の光あふれる通路

家と家の間の物置 からの抜け

ファサードに地下への貫入

建物の間から 向こうは光あふれる

奥先の建物のための道路に面した門 ここから防犯カメラがあるらしい

一階部分の貫入と アーケード面とのズレの空間

建物の間に扉

地下へ貫入

変な門と階段

建物の間の奥に謎の地下へのエントランス

ピロティ 貫通

ファサードに階段

建物の間のエントランス

同じく日本的エントランス

アパートへの入り口

建物の間 石が置いてある

建物の中の謎のなかろうか奥には光

同じく。駐車場にもならない微妙なスケール

まるで中国 威圧的な空間 よく見ると右側に地下への階段

建物の間のエントランス。やや道路からセットバックし低いもんがなんかかわいい

庇のような駐車場のような。奥に階段

歩道に沿ってエントランスの階段
右側はやや低い

旗竿 エントランスが遠い

旗竿 車も通れない



敷地のあまり? 手前がゴミ捨て場で奥へいけず

旗竿の道 こういうの好き 昔おばあちゃん家にあった

結婚式場 ややセットバックした位置にエントランスをもうけ、階段とともに格式を演出

旗竿? 真ん中に道しるべみたいな排水溝?

アーケードの大階段 おくにエステ 単調なアーケード空間にアクセント

ファサードに階段

セットバックし庭がある。ここは雰囲気がいい。

一つの建物のファサードがエントランスに埋め尽くされている

建物の間の階段の段差部分から奥が見える

居酒屋の脇 奥に階段 

面白い 道に対して開いた空間の中に店の空間が貫入
開いた空間は奥で外にもつながっている

いろいろ入り口

都市の既存の余剰空間。敷地の余り、旗竿、車や歩道のエントランスの確保、よく分からない通路、階段、地下などがあった。幹と枝みたいに都市を構成している。

主に都市空間の貫入をどう扱うかといったところか。威圧的な建物配置も、ピロティを設けることで人の視線ではやわらげることができるといったところか。
どういうプレーかは難しいな。しかしそれほどバリエーションがないようにも見える。


都市空間の既存のプレー 1/2

都市空間には方向性が存在する。主な例として道路がある。道路の種類によって方向性の強弱はあると思う。ケビン・リンチの都市のイメージではパスとも言えるかもしれない。パスはその性格が強くなるとエッジにもなり得る。
道路のような物理的なもの以外にイベントなどの環境がその空間の方向性をつくることがある(状況的方向性)。または目標(ランドマーク)が存在する場合も条件的方向性が存在するように思われる。

サッカーにおける空間の方向性はイベントと同じ、状況的方向性である。同時にゴールを目指す条件的方向性を兼ね備えている。つまり道路のような物理的方向性を示すものは存在しない。サイドラインをドリブルするときも物理的方向性というよりは単なるルールであって問題は相手との間の状況的方向性とゴールを目指す条件的方向性によっている。

だが移動するのは人間である。物理的方向性があったとしても行動の選択性は持っている。とくに車に比べ徒歩などは好きなように歩ける。それでも私有地の問題があるのでそれほど選択性はないとも言える。つまりここを歩きなさいと言われているのだ。

サッカーを当てはめるのであればこの物理的方向性は少し厄介だ。都市空間はこの物理的方向性にたいしての余剰空間を用意しているからであって、人の行為、目標にたいする方向性にたいしては何の空間を持たない。

しかし、建築や都市でこの方向性に対してプレーをするのであれば必然的に物理的方向性になってしまうのは明らか。しかし何かしらの解釈を与えなくてはいけないな。
都市における状況的方向性と条件的方向性はそれほど明確に設定されるわけではないというか人それぞれで毎回変わってしまうことなので、あまり考慮しない方が良いのかもしれない。

では本日見てきた物理的方向性にたいする余剰空間という都市の既存のプレーを分析しよう。
まず都市の物理的方向性にたいする考察である。

 幅があり、歩行者専用と自転車専用の2種類に道を分けている。道路との間に5,6mの木。間隔も約5mほど。右側にはwestin。しかしセットバックしてるのでそれほど圧迫感はなく、広々とした印象。







卍から片平への道。歩道は片方のみ。道路との間には変な縁石。道路は狭く、街灯もないので夜は危ない。向かって右側には木が生えるが左側には大きなヴォイドが広がる

片平正門への道。一応歩行者用と自動車用に道は別れているがテクスチャか大学の雰囲気からかみんな気にしない。大きな木と建物に挟まれているが、緑地帯があるなど、狭い印象はなく、空もよく見える
 アーケード(office24近く)。自動車は入れない(と思う)。空は見えない。光のみはいる。両サイドの建物にアーケードはくっついていないので、アーケードと建物のすきまがいろいろ。完全な外部空間にくらべ、強い方向性をもつ?






いろは横丁?低く狭い。トンネル。建築の内部のようなスケール 。自然光ではなく、昼間からライト
アーケードとクロスする道。両サイドの建物が高く、空が狭い印象































全体を通して。多車線の道路はかなり方向性が強い。車が走っているから。また道幅が狭く、両脇の建物が高い場合も方向性が強い。また両サイドの建物のメインの入り口が道のほうに向いていたり、レイヤー感があると方向性が拡散しているような印象。

すでに少し余剰空間なども考慮した物理的方向性に対する考察になってしまったが、次は問題の都市の既存のプレーである。

1112フィールドワーク

今日は歩きました。片平、大町、メディアテークのほう、フォーラムのほう、で昭和町とかいうところまで歩きました。多分10km以上歩いた。

で考察にうつります。
今日は街中でサッカーできそうなところを探しながら歩いた。道路の反対側のバス停をゴールに見立てたり、フェンスにぶつけたりすることなどを考えながら歩いた。
街中でサッカーをするということはボールを蹴ることとは次の4つに分けられる。空間を通す。ぶつける。超える。転がす。

まあ4つあるわけなのだが、特に意識するのはやはり「通す」かな。つまり都市のヴォイドを見つける。ヴォイドを通す。
また名プレーは、ある空間の勢いみたいなものを裏切る、反転するものという見解のもと、都市空間に名プレーがあるとすれば、それは都市空間の空間の勢いみたいなものを反転させたり、アクセントを加えたりするノードやパスのように捉えていたので、都市空間において方向性をもつ道路に対し、その両サイドの空間がどのように振る舞っているか観察しながらまわった。

見て回って思った正直な感想は、サッカーできるかできないかということは置いといて、建物を貫通するヴォイド、建物と建物の間、建物のファサードの階段が面白かった。

それらは一見道路に沿って歩いているだけではわからないものたちで、都市の方向性に対してアクセントを加える。

さてここからだ。

やはりさっきあげた街の中でボールを蹴る行為の意味は街の「調査」には向いているのかもしれない。素材、広い視野などを教えてくれる。しかし、それらはあくまで「調査」であって直接提案にはつながってこない。第一どのように蹴るかがあまり想像できなかった。ほとんどがヴォイドの発見を手助けする意味をもつものだった。

ではヴォイドの発見しか得られない、ボールを蹴るというフィールドワークよりも、やはり名プレーをしっかり空間構成に直し、都市の中に挿入したときにどのような意味を持つかが重要である。

自分でやってみるか。プレーの設計図を書くか。

まあその前に都市空間の既存のプレーを分析しよう。

街中でボールを蹴る

街の中でボールを蹴ることはできるが問題はどのように蹴るかだな。

何かと何かの間をゴールに見立てることはできる。それでは単純だ。

1つスケールを無視してやることも考えたがそれではあまり意味がない。
サッカーの身体スケールで考えるからだ。ただそのままのスケールというのは少しきついのかな。例えばジダンのマルセイユルーレットはせいぜい半径1.5mといったところだ。これはなにかにいかせるのかいなか。とりあえず明日は街を適当にまわってボール蹴れそうなとこ探してあさってたいとまわろう。

でもある程度予測をたてなくてはいけないだろう。
今日少しそのような視点でまちをみていたが正直思うようにいいパスが思い浮かばなかった。俺のセンスの問題か。
どこだろうなー

「ぶつけるのか」「空間を通すのか」「超えるのか」

「超える」は上方向の視界の抜けの問題か。「ぶつける」は素材の問題、「空間を通す」は新しい視点か

とりあえずぶつけるはきついし、通すも下手だからぶつかるかも。超えるもしかり。
まてよ。これはパタンラングエージに置き換えられないか。
なんだっけ、パス、ノード、ちがかった。ケビンリンチの都市のイメージだ
パス、ノード、ランドマーク、エッジ、ディストリクトだ。
パスはパス、ノードはパスの相手、ランドマークはゴール、ディストリクトはフィールド
 参考はhttp://www.clb.mita.keio.ac.jp/econ/takeyama/field/path_node.html

確かにスムーズに置き換えられる。じゃあだからなんだだ。サッカーを用いることで都市の基本構成要素が置き換えられる。で?????

それにもとづいた新しい街をうわがきするか? 意味があるのか。

名プレーの意義はなにか。シークエンスの中での新しい視点というか切り口というか
梗概ではある予測された勢いみたいなものを裏切るものが空間的にも貫入、貫通、内包し、名プレーになるという考察だった。裏切ることを可能にする正確な技術がそれらを可能にしているんだ。
街中でのそのような裏切ることは一般的に危険なことと同義かな。まちは都市のイメージのようにきまったパーツによって決まった流れがつくられている。道路や歩道は方向性をもつ。
街中では歩道から反対の歩道とかなのかな。流れを変える。または上方向の広がりか。
アーケードの階段や店舗のセットバックはこれらに該当するように思われる。てことはそれほど新しくないのかな。

小川さんのいっていたここで草サッカーしたくなるというのは場面展開というよりも周辺環境(条件)だよな。傾斜とか、地面が何だとか。空間のスケールだとか。

じゃあ都市空間の勢いみたいなのを汲み取ってここはバッジョとかやるのかな。
都市空間の勢いとは動的なものなのか?

あのプレーではベルカンプは強烈なノードになってるよな。そこまでのプレーの流れをぐわっと反転させる感じ
バッジョのドリブルは変則的なノード?パス?。
プレーというのはノードの種類なのではないか。ゴールを目指すことはランドマークを目指すこと。パスは移動。シュートは?? パスによって内包はつくられる ノードやパスの指標となるのが貫入、貫通、内包なのではないか。
ドリブルも前に進む場合パスにもなり得るよな。
都市と明らかに違うのは人間のみで構成されているので、パスやノードが可変的だということ、ゴールも草サッカーのように設定するのであれば可変か。
マルセイユルーレット的ノードをつくるとか
裏の空間にパスをだす。空間を引っ張る。空間を飛ばす。それを受け止める。視線を受け止める。記憶に残す。万国旗。




2011年11月8日火曜日

サッカーと建築

明日が梗概提出。やばす。でも絶対にやり遂げたい。

サッカーから建築や都市について考えることを試みている。

問題は抽出の仕方だ。発表ではサッカーは場面の展開が重要ではないかという指摘を受けた

ベルカンプのゴールは確かにあのトラップと切り返しまでの流れが重要。マラドーナのゴールはタイミング、
とくにロベルトバッジョに惹かれる理由は彼の空間の勢いや流れをそこに居合わせる誰もが想像していないことだからではないか。
そういえばファンタジスタという概念はサッカーにしかない。
近代のサッカーはフィジカルによっている。

思いついた。そのような素晴らしいプレーはある予測を裏切る動きをする。ではその予想の動きに対して貫入、貫通、内包といった動きが加わることで素晴らしいプレーがされる。
さしあたりアーケードの階段とかかな。あまり簡略化しない方がいいけど。ちょっと書く。絶対にやってみせる。

2011年11月2日水曜日

建築向いてないとつくづく思う

11月2日。長谷工やばし。
再び「集まって住む豊かさ」ってのが噛み締めるほど分からなくなる。
何が豊かなんだろうね本当に。

30戸の異なる生活をばらまいて、それらを組み合わせることで生活が波及していく、公共集住みたいなものをつくろうと思ったんだけど難しい。

まず無限の組み合わせを可能にする空間のつなぎ方が重い浮かばない。
シンヤのやつは5種類の住宅内の機能の組み合わせなので10通り。それに予め設定した住戸どうしの組み合わせ(おそらく最大2つ)によって幅を持たせている。

しかしこれでは隣の家としか共有できないし、他は家の中で完結してしまう。

僕がやりたいのはおそらく全ての機能を公共、共有するようにすることだ。なのでお隣さんだけでなく、一番遠い家の人の趣味も共有したい。それが集まって住む豊かさだと思う。
みんな違うことを知って世界が広がる。30世帯のシェアハウスみたいな。でもなあ。大きな家をつくるのも建築的に違う気がするし。
やはりいかに遠くの家とつなぐかだと思う。そしたらやはり線状に住居をのばすか、フリースペースを設けるしかない。

真ん中にフリースペースを置いて、そこで行われる共有は全体の共有。
隣の家の人の影響は直接伝わった方がいいのかな。
隣の人がいなくなったら家が大きくなるっていうのを間仕切りを取っ払うことで可能にするのか下に滑車のついた三次曲面の壁でうねうね動かすか。
わからない。

とりあえず今回の集まって住む豊かさは表層だけではなく、人と人のつながりにあると思う。そこをいかにリアルに丁寧に設計するかだと思う。
ってことはやっぱり30戸集まったならそれら全員の人とつながりを持てるようにしたい。
だからといって大空間に家具だけではなく、「線をひく行為」をしなくてはいけない。

敷地内で家を分けるか寝るところあっちみたいな。じゃあどこに線を引くんだろう。
いやあワカンナくなってきた。


ドアだけつけるか。アメリカの住宅みたいにどこからでも入れる感じにするか。
でも入れない感じにするみたいな。いや、違う。
ホームレスでもないし。
野宿でもない。